現地在住日本人が見た徹底的かつ迅速なアラブ首長国連邦コロナ対策

 

我が家は今年とても大事な行事が詰まっていて、本当なら怪我をしているヒマはありませんでした。息子が結婚し、娘が出産したのです。それゆえ早く万全な身体に戻らなければと慎重に生活していたつもりなのに、9月には足先を軽くぶつけて、左足の中指にひびが入ってしまいました。ネットで調べると、足指の骨折はよくあることで、治療法はなく、ただ隣の指と一緒にテープで巻いておくことだと書いてありました。半信半疑のまま、半月もそのようにしていたら、やっと普通に歩けるようになりました。最近はようやく怪我の連鎖も止まったかと願っていますが、まだまだ年末までは気を緩められません。

今年1年、世界中の誰でも同じでしょうが、コロナの影響で私たちの生活は一変しました。

UAEで最初のコロナ患者が見つかったのは、1月25日。中国の武漢からの観光客でした。しかしまだ危機感は薄く、3月初頭までは数日おきに一桁の新規感染者が出るような状況でした。ところが3月中に50~99人の推移となり、月末からは連日の三桁台で、4月半ばにはあっという間に500人を超えました。人口が900万人(うちUAE国民96万人)の国にすれば、大変な数字です。

それからは次々と感染対策が発布されていきました。3月1日から保育所と幼稚園はすべて休園(これが発表されたのは2月29日で、働く女性にどれだけのカオスを与えたか計り知れない)。3月8日からは全学校が1週間の休校となり、(これも3月4日に発表された。1週間の間に国は全生徒にラップトップを配布し、全家庭にWifiをつなげた)、翌週からは全国の学校でオンライン授業が始まりました。3月17日にはビザ発給が停止され(それ以前に発給されたものも無効化)、外国人がばたばたと帰国しました。3月23日に、国際空港は48時間以内(つまり25日まで)に封鎖と発表されたのに、実際は1日前倒しで24日未明に封鎖されました。
そして3月26日からは外出禁止です。私と次女はその日アブダビにいて、あっという間に外出禁止となったために、ウンムアルクエインの家に戻ることが出来なくなってしまいました(その2日後に夜間だけ外出禁止に変わったので、すぐに戻った)。

このように何を準備する間もなく規制が敷かれ、禁止した者には容赦なく高額な罰金が科され、この1年ずっと市民生活は多大な影響を受けてきました。

しかし驚いたのは、これに対して怒る市民がいないことでした。困っている人間は大勢いるのに怒る人間はいない。それは首長制という政治体制(首長を頂点にしてトップボトムの支配体制)であることもそうですが、部族制の原理と、個人の自由と権利を主張してもどこにも行きつかないという砂漠の生活思考が働いていたからだと思います。そして当然、困ったら国が何とかしてくれるという安心感(ぶら下がり思想)もあります。実際、ドバイ空港を経由して自国に帰ろうとしていたトランジット客が600人も封鎖でドバイ空港に留め置かれましたが、その面倒はちゃんとUAE国家がみていました。立派なホテルを用意され、3食を提供され、空港が再開された4月中旬には自国へ送りかえしてもらえたのでした。学校もわずか1週間で全生徒にラップトップを支給し、全家庭にWifiを設置するなど、不可能を可能にしたとしたか思えない素早さです。

この時期、私は沈黙し続け、実に多くのことを考えさせられました。

image by: Adnan Ahmad Ali / Shutterstock.com

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