これは繰り返し書いていることですが、かつての「フリーター」を量産した社会と同じです。
それまでは「定職に就かない」あるいは「無職」と呼ばれていた人たちが、「フリーター」というカタカナ用語によって、「自由を求める人」の象徴になり、「夢を追う若者」を量産したのです。
フリーターの末路を鑑みれば、フリーランス礼賛がいかに危険かがわかるはずです。
再び、ワーキングプアが増えるだけ。高齢化も進んでいるというのにどうするというのか?「労働人口の2割」まで増えてしまったことを、真剣にうけとめるべきです。
念のため断っておきますが、私自身、フリーランスで生きてきたので、フリーランスを否定する気はさらさらありません。フリーでやりたい人はやればいい。問題は、「フリーで働くことのリスク」がきちんと伝えられないまま、安易にフリーランスになったり、企業が都合よくフリーランスを使っていることに納得がいかないのです。
フリーランスは「これでおしまい」と言われれば、抵抗するすべもなく「はい」と引き下がるしかない。仕事がなければ食えないし、あればあったで「1人ブラック企業」状態になる。目の前の仕事が次の仕事の営業なので、常に200%を目指してがんばるしかない。かといって病気になれば、また食えなくなるので、ギリギリの状態で健康にも留意し、それでも壊れる体を必死で仕事に支障がないように全力で守らなければなりません。
そういったリスクを語らない社会に、一抹の怖さを感じています。
みなさんのご意見、お聞かせください。
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