コロナ禍でも変わらぬ日本と台湾の絆。「行ったつもりツアー」の相思相愛

 

また、田川市には「田川市石炭・歴史博物館」があり、展示による歴史の解説や、当時のまま保存されている煙突の見学などができます。

筑豊では、炭鉱夫たちが疲労回復のために甘いものを求めた結果、千鳥饅頭の「千鳥屋本家」やひよ子の「ひよ子本舗吉野堂」など、今では老舗と呼ばれる和菓子屋が誕生したというエピソードもあります。

上記の田川市の広報誌には、田川市の担当者が台湾に出向き、基隆炭坑で働いていたことのある台湾人を探し歩き、当時のことについての証言を集めたとも書いてあります。基隆炭坑で働いたことがある台湾人は、今はもう数少なくなっているでしょう。そうした人々を探し歩き、証言を記録することは非常に意味のあることです。

『広報たがわ』に出てくる山本作兵衛という人物も、ぜひ知っておきたい人物です。彼は、7、8歳の頃から炭坑で働きはじめ、約50年間で移り住んだ炭坑は18を数える、生粋の炭坑夫でした。その山本氏が、描きためた絵が今は世界記憶遺産に登録されています。以下、公式ホームページからの解説を一部引用します。

名もなき一人の炭坑夫が自らの体験をもとに明治・大正から昭和初期にかけてのありし日の炭坑の姿を、驚くべき正確さと緻密さで克明に描いているということで、他に類をみない炭坑記録画としての評価を受けた。炭坑労働を経験した者にしか描くことのできない、細部にわたる坑内作業から坑夫の生活、炭坑社会がそこにはあったのである。生活の実感をとおして生まれた「炭坑の生活誌」が、多くの人々の共感を呼んだといえるだろう。

山本作兵衛氏 炭鉱の記録画

確かに、彼の絵は力強く迫力がある一方、詳細な説明と正確な描写に驚かされます。小学校こそ卒業したものの、炭坑夫としての人生を送っていた人とは思えないほど、絵も文字も素晴らしいものです。彼の記録にある道具や炭坑夫の様子などは、恐らく基隆炭坑でも使われていたものなのでしょう。

田川市と台湾北部の旧産炭地である新北市平渓区の新平渓煤礦博物園区は、2017年に友好館協定を締結しています。新平渓煤礦博物園区にも、当時の炭坑の様子や道具、写真や資料などの展示物、トロッコなどが見学できます。ここは観光地である十分の街にあるので、観光がてら寄ることができます。

新平渓

田川市石炭・歴史博物館や新平渓煤礦博物園区など、かつてものを保存している場所に行くと、まるで時間をさかのぼって過去に戻ったような感覚になります。そして、日台の古き良き時代の過去に思いをはせるのです。

話が炭坑のことばかりになってしまいましたが、「台湾に行ったつもりツアー」の内容は、「九份」に変身した田川伊田駅を満喫したり、台湾グルメを堪能したり、天燈上げを楽しんだりと、台湾を感じさせる工夫がたくさん散りばめられています。

その他、日本航空も台湾旅行記分を味わえる成田空港発着の周遊フライトを4月3日に実施しました。約3時間半の周遊フライトで、機内では台湾料理を食べたり、台湾で祝い事の際に贈られる「紅包」を使った運試しイベントも催されたそうです。

「台湾気分満喫」成田発着フライト 機内で台湾グルメや運試しイベント

フライトは、正午過ぎに飛び立ち、西に向かった後に折り返し、日台友好を願って航路でハート型を描くように飛行したということです。この周遊フライトには申込受付から3日間で1,000人を超える応募があり、機内はほぼ満席だったとのこと。6月には羽田発着の周遊フライトも予定しているそうです。

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