次は沖縄か?「古来より中国の一部」と認定された土地が迎える悲惨な未来

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5月22日に開いた記者会見で国内外に向け、チベット解放の正当性を強く主張した中国政府。しかしながらその実態は、当局が言う「農奴解放」とはかけ離れたものでした。今回のメルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』では台湾出身の評論家・黄文雄さんが、中国による「チベット併合」の歴史を改めて振り返りつつ、その非道さを指摘。さらに「古来より中国の一部」だと中共に認定された地域のすべてが同じ目に遭うとし、沖縄もその中に含まれていると記しています。

※本記事は有料メルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』2021年5月27日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール:黄文雄こう・ぶんゆう
1938年、台湾生まれ。1964年来日。早稲田大学商学部卒業、明治大学大学院修士課程修了。『中国の没落』(台湾・前衛出版社)が大反響を呼び、評論家活動へ。著書に17万部のベストセラーとなった『日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか』(徳間書店)など多数。

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【中国】中国「チベット解放70周年」、次は「沖縄解放○周年」か

中国政府 チベット“解放”70年 共産党による統治を正当化

5月23日は、中国がチベットを併合してから70年に当たります。この日を前に、中国政府は「チベット解放」の正当性を主張し、「党の指導によってチベット自治区が発展した」などとアピールしました。

中国は現在でもチベット併合を「農奴解放」だとし、「チベットは古来より中国の一部だった」などと主張しますが、これは嘘ばかりです。チベットの歴史と中華人民共和国下での受難の歴史を振り返ってみましょう。

チベットは7世紀に吐蕃王朝によって統一され、以来、独立を保ってきました。13世紀のモンゴル帝国の時代には保護国扱いとなり、14世紀からは明と冊封関係を結んだものの、それでも独立した国として存在していました。

17世紀半ばには、如来や菩薩の化身とされるダライ・ラマ5世がチベット高原を制圧して政権を打ち立てます。中国ではそのころ、女真人による清王朝が成立しますが(1644年)、モンゴル高原の諸勢力もチベット仏教を信仰していたため、チベットとの関係は良好なものでした。しかし雍正帝の時代になると、清はチベットの支配を強化します。1723年に軍を派遣してチベットを制圧、時の政権を廃して領土を3つに分割、ダライ・ラマ領と清の内地に分けます。

1911年の辛亥革命により清朝が滅びて中華民国の時代になると、ダライ・ラマ13世が独立宣言を行い、チベットは再び独立します。中華民国の孫文は清朝の領土を引き継ぐことを宣言していたため、その後を継いで大総統となった袁世凱は、ダライ・ラマに独立宣言を取り下げるよう要求しますが、ダライ・ラマはこれを拒否します。

袁世凱は軍隊をチベットに派遣しますが、イギリスがこれに対抗したために、占領を断念。1913年には当時イギリス領であったインドのシムラでチベット、イギリス、中華民国による会議が行われ、一度はチベットの独立で合意したものの、中華民国がすぐにこれを撤回して調印を拒否します。

そこでイギリスとチベットの代表は1914年にシムラ条約を結び、インドとの境界線(マクマホンライン)が決められました。そしてこの条約に対する中華民国のいかなる要求も拒絶することを決定します。

ちなみに、このときのマクマホンラインについて、シムラ条約に調印しなかったという理由で、現在の中国は認めていません。そのためにインドとのあいだでの国境紛争が絶えないわけです。

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