国民を操作したいだけ。文科省が高校生へ課した宿題「夢実現計画」のバカらしさ

 

私自身の話をすると、私は小学校に上がる前に小児結核にかかり、幼稚園にも保育園にも行けなかった代わりに、毎日、虫と戯れて遊んでいた。小学校に入学したときにはひらがなが書けなかったが、幼稚園でつまらないしつけをさせられなくて、本当に良かったと思っている。友達がいなくても全然平気という感性は、朝から晩まで、一人で虫と遊んでいた時に養われたのだろう。

ちょうどその頃、抗生物質が市場に出てきて、「月給が全部清彦の薬に化けてしまったよ」と親父が嘆いたくらい高かったけれど、命はとりとめた。結核にかかったのも偶然で、新薬が使えるようになったのも偶然だ。人生にとって最も重要なのは偶然であって、計画ではないのだという事がよく分かる。

高校3年生の時に、あまりにもお勉強の出来が悪くて、さすがにこれはまずいと秋口から根を詰めて勉強して、何とか東京教育大学に滑り込めたのは、まあ、計画通りと言えなくはないが、大学院の博士課程の入試に落ちたのは、もちろん計画通りではないし、次の年に東京都立大学の北沢右三先生が拾ってくれたのは、都立大の博士課程の入試の半年くらい前に、教育大学に集中講義に見えた北沢先生に修士論文をお見せして、気に入ってもらえたのがきっかけで、偶然みたいなものだ。結果論だが、教育大学の博士課程に落ちて運が開けたのである。

山梨大学に就職できたのも、候補者の推薦を頼まれた隣の研究室の桑沢清明先生が意中の人と全く連絡が付かずに、私にお鉢が回ってきたもので、運が良かったとしか言いようがない。人生は偶然の出会いと運で決まることがほとんどで、あらかじめ立てた計画通りに行くことはまずないし、計画に縛られると大体ろくなことはない。

私の人生で最も重大な事件は柴谷篤弘先生と出会ったことである。1985年に、当時、岩波書店から出ていた「生物科学」にネオダーウィニズムとは異なる進化のメカニズムを考察した論文を発表したところ、日本の生態学者や生物学者にはほぼ黙殺された中、ただ一人私に手紙を下さったのが柴谷篤弘先生である。私にとっては予期せぬ出来事で、これをきっかけに、構造主義生物学の構築に突き進むことになったわけで、これも計画とは無縁な出来事である。

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