俺の時代はまず国を建て直さなければならなかった…
親父とオフクロが離婚したことを知ったのは大学を出てからだった。あれは芯の強いオフクロに決定的な証拠を握られたからじゃないか。親父が待合で芸者と一緒の布団にいるとこをオフクロに踏み込まれた。
「あれ?俺は何でここにいるんだ?さっぱりわからないな?教えてくれ」
最後まで親父はそうスッとぼけたそうだ。そんな親父を見てオフクロはプッと吹き出し、親父の意思とは関係なく、勝手に離婚させられちゃったらしい。
オフクロは小唄の家元だ。全国に1万人近いお弟子さんがいる。
お金に困っていた時に、下北沢のオフクロの稽古場に遊びに行った時のことだ。ロサンゼルスでギターの出物があるという話をした。
「いくらなの?」
「300万円だよ」
「買いなさい、楽器には糸目をつけるんじゃないよ」
そう言うと、オフクロはポンとキャッシュでお金をくれたことがあった。
大学を自力で卒業し、演奏活動を続けるうちに、オフクロよりも人間が甘い、親父の勘当はいつしか解けていた。
僕はギターの音が好きだ。
「音楽は、政治家が言えないメッセージを世界中の人たちに伝えることが出来るんだよ。だから、音楽も捨てたもんじゃないと思うけど」
そんなことをふと、親父の前でつぶやいたのは晩年のことだった。すると、
「俺の時代はまず、国を建て直さなければならなかった。歌舞音曲の類で国を立て直すことはできねえ、それをお前に言いたかったが、口足らずで伝えられなかった……」
親父のそんな言葉に接して。親父は僕に甘かったが、口を開けば音楽に反対ばかりしていた。だが、子供の頃にその話を聞いていたら、僕は本気で楽器を止め、別の世界を歩んでいたかもしれなかった……。
ふとそんな思いが脳裏をよぎった。
80歳を過ぎて、伊豆の温泉病院に入院した親父を見舞いに行くと、院長も一緒になって芸者を上げ、毎日ドンちゃん騒ぎをやらかしていた。
怖いはずの親父なのに、ふと思い出す親父はニコニコと笑っている。
そして、今もギターを弾くと必ず脳裏に浮かぶのは、着物を着て、シャッキっと背筋を伸ばしたオフクロの姿である。(ビッグコミックオリジナル2002年3月20日号掲載)
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