世界で最初にエレキを手にした男・寺内タケシの「豪快すぎる父親」

 

「気合いが入ってないから音が小さい」オフクロを見返そうと

三味線を弾く要領でオフクロに教えてもらっているうちに、夕焼け小焼けの赤とんぼとか、メロディーが弾けるようになり、ギターが面白くなってくる。

オフクロが弾くのは人間国宝が作ったような日本の古典芸能に基づいた三味線だが、錆びた弦の弾く僕のギターの音よりも、オフクロの三味線の方がはるかに大きな音が出る。

「お前は気合いが入ってないから音が小さい」

オフクロにそう言われるのが悔しくて、何かうまい手はないか。

5歳の子供ながらに思いついたのが、電話の受話器だ。当時、うちには電話器が何台もあった。受話器の中には音を増幅させるコイルが組み込まれている。それを取り出して何個かつないで、キャラメル形のマイクを作った。

戦時中のことだ。当時、3階建てのうちの屋上には、空襲警報を鳴らすスピーカーが設置してあった。夜中に自家製キャラメル型のマイクをそのスピーカーにつなげて、マイクの前でギターを試してみた。すると、「ギャー!」という感じで、僕の弾くギターのメロディーが、ヘビメタみたいな感じで辺りに響きまくったんだ。

「これでお母さんに勝ったぞ」

僕は嬉しくて調子に乗って夢中で演奏していた。ところが戦時中のことだ。明け方、特高警察と憲兵と、当時はだれもが怖がった連中が家に駆けつけてきた。

「この非常事態になんてことをするんだ!」

親父が警察署に引っ張られ、背中を竹刀でブッ叩かれて帰ってきた。

「子供が命がけで芸事やって、それで親が警察に引っ張られるんなら本望だわさ」

オフクロは涼しい顔でそう言っていたのを覚えている。その一件を見ても、親父よりもオフクロのほうが強いことを物語っていた。

うちは建築屋もやっていたから、大工の棟梁に頼んでギターを作ってもらい、電気屋の職人に頼んでギターにマイクを取り付けてもらった。僕が戦後間がない9歳のときに手にしたものは、おそらく世界で最初のエレキギターだったに違いない。

NHKのコンクールで『禁じられた遊び』をギターで弾き、優勝したのは12歳の時だった。ギターを弾いている時が何よりも楽しい、だから勉強なんか出来るはずがない。芸事好きのオフクロはそんな僕に理解があって、学校の成績が悪くても小言を口に出すことはなかったが、小学3年の時の成績が学年で一番びりだということが親父の知れるところとなって。

「いい加減にしろ!ガラクタばかりいじって、大バカモノ!!」

昔の大きな玉のソロバンでぶん殴られた。

「でもギターを弾いてるのが面白いんだから」とかなんとか言い返したら、「出て行け!」と。

小学3年のそれが、それが最初の勘当だった。

昭和のスター、有名文化人たちが自分の親について語った貴重なエピソードが満載のメルマガ詳細はコチラ

 

print
いま読まれてます

  • 世界で最初にエレキを手にした男・寺内タケシの「豪快すぎる父親」
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け