世界で最初にエレキを手にした男・寺内タケシの「豪快すぎる父親」

 

 高校に行かず、ギターを弾こうとしたら親父が先回りをして…

算数というのは要するに経理だろう。親父を見ていると、家のそばにある会社の経理部に行けば、しっかりと計算をする人間がいる。国語なんかやらなくても弁理士も代書屋もいるじゃないか。英語はしゃべれない方がいいと親父は言っていた。

──なぜ勉強しなきゃいけないんだ。

勉強する意味が分からなかったから、小学校も中学時代も成績は学年でビリ。

「この成績じゃ高校に入れない」

先生がそう言うもんから、

──高校へ行くのはやめた。ずっとギターを弾いてよう。

そう思っていたら、親父の方が先回りをした。

土浦にあった予科練の練兵所の跡地の3万坪の土地を国から払い下げてもらい、そこに高校を作り、それを県に寄付した。親父が創立した学校なのだから、裏口ではない。僕は正面から堂々と高校に入学をした。

高校時代はギターと同時にマンドリンにも興味を持って。高校にマンドリンクラブを作り、講堂を練習場にして。140人の部員の楽器は、楽器店から親父のツケで買ってきて。猛烈な練習を積んだ。NHKの楽器コンクールに出場して3年続けて優勝した。

NHKのコンクールで部員たちと東京に行く時も土浦の駅で、

「寺内ですけど、上野まで140人分の往復切符をください」

そう言えば、これまたツケで切符が買えた。

「タケシ、もう楽器はやめろ、楽器とは縁を切れ」

親父に引導を渡されたのは高校を卒業し、親父の知り合いの紹介で関東学院に入学した時だった。

親父は僕を政治家にしたかったらしい。親父は関東学院の近くに家を建ててくれ、ばあやも置いてくれたのだけれど。横須賀の進駐軍のクラブのフルバンドで、僕がドラムを叩いている時に、客として来た親父に見つかった。

「分かっとるな」
「はっ、分かっています」

今度こそはまずいと思い家に帰る気をなくして、友達と飲み歩き10日ほどして親父が建ててくれた家に戻ると、家は跡形もなくなり更地になっていて、そこに「勘当」という札が刺さっていた。

──今度は本当に「勘当」だな……

あの2文字を目にした時、僕は“感動”したことを覚えている。

親父は僕が尻尾を巻いて帰って来ると思っていたようだ。でも、僕にだって意地がある。勘当されて仕送りはすべて途絶え金がなかったから、僕は演奏でお金を稼いだ。自然とプロでやることになったのだ。

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