故・高島忠夫が生前に語った両親。「イエーイ!」な人生を送ったのは父だった

 

「親父は派手好きやったから、高嶋信夫の紅白歌合戦やぁ!」

親父の浮気、親父の放蕩、お金のやり繰り……、世間は関西でいう“ええしの息子”に嫁いだと見ていたが、オフクロの苦労は絶えんかったんや。そんなオフクロの労をねぎらう意味でも、僕は豪勢に祝ってあげようと思っていたんやけど。親孝行したかったんやけどね、それが中止になって僕はちょっと悲しかった…。

親父は器用貧乏というか、琵琶や尺八もうまかったけど、それを仕事にできるほどの腕前ではない。僕自身も未だ歴史に残るほどのミリオンセラーを出した歌手でもないし、映画史に残る不滅の名画に出演した俳優でもないわけで。そこは親父に似てしまったのだろうか。

年をとって病気になり入院しても、「わしは看護婦にモテてなー」なんて、どこまでもノー天気な親父やった。亡くなった時は、「ほんとは白い花だけで……」葬儀屋さんにそう言われたけど、棺の中に、「紅い花やオレンジや紫の花も入れたろやないか」って、僕は声を張り上げた。

「親父は派手好きやったから、高嶋信夫の紅白歌合戦やぁ!」とか大きな声で言ったら、親戚に怒られたけど。最後のお別れの挨拶の時だった。あんなに明るく振舞っていたのに、マイクの前に立ったら急に涙があふれて。しゃべれんようになってしまって。「あんたはかわいい子やなぁ……」そんな僕に声をかけてくれたオフクロの言葉が忘れられない。

親父は僕が出るテレビは必ず見てくれていて。「おまえはたいした役者やでぇ」と、いつも喜んでくれた。そんな親父の張りのある声がもう聞けない、そう思ったら涙があふれてきたんや。

今は僕が息子たちに「あの芝居、よかったよ」と声をかけると、息子たちはうれしそうな顔をする。親父はべベベーンと琵琶を弾いた。親父と僕と息子と、高島家はいわば芸能三代や。別に大スターにならなくたってええや。健康で芸能を続けられて、幸せな一生を送れればそれが一番だと、親父の人生を振り返って僕はそう思っている。(ビッグコミックオリジナル1996年8月20日号掲載)

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image by: キネマ旬報社 撮影者不明, Public domain, via Wikimedia Commons

根岸康雄 この著者の記事一覧

横浜市生まれ、人物専門のライターとして、これまで4000人以上の人物をインタビューし記事を執筆。芸能、スポーツ、政治家、文化人、市井の人ジャンルを問わない。これまでの主な著書は「子から親への手紙」「日本工場力」「万国家計簿博覧会」「ザ・にっぽん人」「生存者」「頭を下げかった男たち」「死ぬ準備」「おとむらい」「子から親への手紙」などがある。

 

このシリーズは約250名の有名人を網羅しています。既に亡くなられた方も多数おります。取材対象の方が語る自分の親のことはご本人のお人柄はもちろん、古き良き、そして忘れ去られつつある日本人の親子の関係を余すところなく語っています。

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