さらに悪いことに、このデルタ株は若年層どころか子供や乳幼児にまで有症状感染する。実際には無症状感染も未だ多いのだろうが、現場である小児科では現実の問題としてデルタ株蔓延以降明らかに有症状の感染者が増えていることは確かである。子供の治療に関してはほとんど知見がないという残念極まりない事実を考えると、これ以上事態が悪化しないことを祈るばかりである。
もう一つ、日本が考え、準備しておかなければならなかったのがワクチン接種進行中における蔓延についてである。これは先進国であるイギリスの例を見れば分かった筈である。そのイギリスでは成人の68%が2回目接種を終えた段階で猶5万人超の新規感染者を出す日もあった。これもデルタ株が原因とされているが、その一方で死者はさほど増えなかった。
イギリスは早々に「死にさえしなければいい」というふうに大舵を切っていたのである。当然ワクチンの位置付け、つまり期待値も同程度まで引き下げられる訳だから接種回数も2回にあまり拘らなかった。その代わりに重症者病床だけはしっかりと準備していた。死なない分、当然その前段階である重症者は増えると予想したからだ。
この策はそれなりに機能したが同時に大きな問題を先送りにするものでもあった。後遺症である。ただ、当時のイギリスを思えば「Hail Mary」的な策もやむなしといったところまで追いつめられていたことも事実であるから、これはこれで評価せざるを得ないであろう。
どんな施策でも必ずその反作用は生じる。だからこそ準備が大切なのである。日本はこの1年、何も準備して来なかった。ワクチン政策のみであった。8月16日現在、東京だけで2万2000人を超えるほどの自宅療養者が出てしまったのはその無策がもたらした結果なのである。
数ヶ月前、インドの病院の廊下や中庭に感染者が力なく横たわっている様子が報道されたりしたが日本もそれと同じである。もしかしたら近くに医者がいる分、向うの方がいくらかましかもしれない。そんなふうに思えてしまうほど今の日本の現状は深刻なのである。
頼むから、口を開けばワクチン攻めはもう勘弁してもらいたい。こちらとしては閉口するばかりである。もう既に「ワクチン」という単語にはトランキライザーとしての機能はなくなっているのである。
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