なぜ学校という組織はコロナによる「価値観の転換」に対応できないのか

 

学校の教員も、そして恐らく保護者の中にも同じ感覚があるはずである。それぞれが自分の子ども時代を考えた時、宿題がないなんて有り得ない。宿題をきちんとやるのは絶対的な正義であり、それが出ない学校なんて不安で仕方ないだろう。

かつては宿題忘れという「大罪」に対し、体罰すら容認されていた時代があったのである(かつて国民的人気アニメの主人公が「宿題忘れの罰としてバケツをもって廊下に立たされる」という描写は一般的だった。それが今一切なくなったのは、象徴的である)。

今教育の世界で、上の立場にある多くの人たちも、同様の経験があるはずである。「若い頃は…」という話になれば、今ならあり得ないこともたくさんある。なぜなら、時代がそれを容認、あるいは求めていたからである。体罰すらテレビで当然のように流されていたぐらいだから、そういうことである。

それが急激に変わってきている。かつては「村」の中の比較だけで一生を終えていたのが、工業化による集団就職で都市部に比較対象が広がった。今では世界と容易に繋がれるようになり、グローバリゼーションが進んだ結果、比較検討の対象が世界の国々になっている。「宿題」一つの在り方をとっても、ICT活用を見ても、世界の先進国の教育が比較対象になるのは当然である。

パラダイムシフトが起き続けている。シフトしようか日本が迷っている間に、その新しいパラダイムすらもさらに世界ではシフトしているというスピード感である。

話が広がりすぎたが、身近なところの小さな変化へ抵抗感を示している場合ではないということである。かつての絶対的正義は、もはや通用しなくなっている。

そして一般的に、上の立場にいる人ほど、元々のパラダイムで生きてきたので、変化には抵抗する。旧パラダイムにおける成功体験のない若い教員世代が声を上げる以外にない。感覚の若い人たちみんなで声を上げて変えようとしない限り、既存の学校文化はいつまでも生き続ける。

なくした方がいいもの。残しておいた方がいいもの。真剣な検討が必要である。

どちらもごっちゃになっていれば、確実に「とりあえず保留」になる。公の場で「それは必要ですか」と声を上げる人が出るかどうかである。その声に続く人がいるかどうかである。

オンライン授業と宿題という狭い話であったが、ここに問題の本質をはらんでいると感じた次第である。

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