なぜ学校という組織はコロナによる「価値観の転換」に対応できないのか

 

日本にはかつて、敗戦のどん底から立ち直り、人口も経済成長も右肩上がりの時代があったという。モノを作れば売れる、ビルを建て、土地をひたすら転がして儲かる時代があったという。

この時代に最も必要な人材とは何か。「決められたことをきちんとやりとげる」「無茶な命令にも素直に従う」「無理してでも頑張り続ける」こういった人材が大切である。一人の人間から提供される労働時間の長さが、ダイレクトに企業の利益の大きさにつながるからである。

キャッチフレーズが「24時間戦えますか」だった時代である。残業拒否や家庭を顧みて育児を優先する行為など、「企業戦士」にあるまじき行為である。上司の命令に逆らうようなことがあればまず昇進はなくなるが、黙って従っていれば終身雇用で一生豊かで安泰が約束される。ある意味、イケイケである。

先の時代の人材の条件に最も当てはまるのは、現在の優秀なロボットたちである。今の時代でこの勝負をしたら、人間はロボットに全く勝ち目がない。

ところで、今でも学校現場で広く採用されている一般的な宿題とは、どのような力を伸ばせるのか。恐らく、先の時代に必要とされていた力を、大いに伸ばせるのではないだろうか。「受動」「従順」「我慢」である。

夏休みや冬休みも含む日々の大量の宿題は、先の時代のニーズに最適化していたといえる。社会が求める人材教育として、恐らく正しかったといえそうである。

一度に大量の相手に対し同質を提供できる一斉授業。厳密な校則、ルール。多様性を認めない排他的な制度とテスト学力による序列化。全て時代のパラダイムに沿っていたと思われる。望み通りの結果が得られたといえるのではないだろうか。

かつてのパラダイムを捨てるのは難しい。成功体験があるからである。長く勤めてきた人ほど、これは難しい。

一方で、新しい人たちは、この成功体験がない。よって、先入観がないため、新しいパラダイムをすんなり受け入れられる。

年配の方々の中に、LGBTQの概念をどうしても受け入れられない人が多いのは仕方がない、という話を書いたことがある。これも同じく、かつてのパラダイムによる当然の結果である。人生のほとんどを「男女ははっきりと区別されるのが正義」という枠組みの時代の中で生き抜いてきたのである。いきなりそれを「今は違うから変えて」と言われても、戸惑うのは当然である。

print
いま読まれてます

  • なぜ学校という組織はコロナによる「価値観の転換」に対応できないのか
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け