なぜ武田信玄は合戦前の作戦会議で、「退却路」を考えていたのか

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戦国最強の武将と言われ、数々の名合戦を繰り広げたことでも知られる武田信玄。そんな信玄公は、令和の今となっても色褪せることのない「戒め」を、450年以上も前に配下の将たちに説いていたと言います。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、現代の知の巨人と呼ばれた渡部昇一氏が、生前著書に紹介していた信玄公のとあるエピソードを掲載しています。

「進むのは簡単だが、退くのは難しい」

2021年に生誕500年を迎えた戦国武将・武田信玄。戦国最強の騎馬軍団を率い、“甲斐の虎”と恐れられた武田信玄ですが、その人間力が如実に伝わってくるエピソードを、上智大学名誉教授の渡部昇一さん(故人)に紐解いていただきました。

武田信玄のエピソードから、危機の時代のリーダーに求められる資質もまた教えられます。


永禄12年秋9月、甲府の館では北条家の小田原城を攻める軍評定が開かれていた。信玄は当年49歳、百戦錬磨の功を積んで思慮も最も円熟していた。信玄の考えでは、南に下って駿河に出ようとすると小田原の北条氏政がこれを妨げるから、逆に駿河に出ないで、啄木(たくぼく)の戦法によって小田原城を叩こうという計画だった。

家来たちはみんな一生懸命に、進軍の道筋と日程を論じている。信玄は一人黙然として考えていた。家来の一人が

「殿様がいかがお考えか、お伺い申し上げます」

というと、信玄は

「お前たちがいいように計らえばよい」

と答えた。そういう信玄が手元に広げている地図を見ると、赤い線があちこちに引かれている。それを見て家来は訪ねた。

「その道から討って出る思し召しですか」

すると信玄は、頭を振ってこう答えた。

「いや、これは引き揚げる道だ」

それを聞いて大将たちは仰天した。勇ましい進軍の門出に、退却の道を考えるのはなんたる不吉なことであろうか。我々は勝って北条氏をほうむる覚悟である。破れて引き揚げようとは思っていない。そこで、大将たちは口々にいった。

「それはご無用のことです。凱旋(がいせん)するときはどの道でも自由に通行できますから、今そのようなご検討をする必要はありません」

信玄は笑った。

「そうかも知れぬ。そうでないかも知れぬ。お前たちは進むことを考える。それゆえに私は退くことを考えるのだ。進むことは容易だが、退くのは難しいものだぞ。人間というものは、どのように生きようかということよりも、どのように死のうかということを考えなければならぬ。どのように進もうかということよりも、どのように退こうかということを考えるほうが大事なのだ」

そのようなわけで、信玄は小田原城を囲んだが、もう一揉みと逸る家来たちを抑えて、さっさと予定の退路を引き揚げた。

すると、物を知らない北条方はすわとばかりに追撃してきて、三増峠の合戦でこてんぱんに信玄に打ち破られた。信玄は崩れ立つ敵勢を尻目に見て、山を下って悠々と甲府に引き揚げたのである。

信玄のこの言葉は事業などにも当てはまるだろう。事業も拡大するのは易しいが、引き揚げるのは難しいものである。

(本記事は渡部昇一著『人生を創る言葉』【致知出版社刊】より一部抜粋したものです)


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