アタリ氏は同書で「未来を見通す、そして読む、聞く、見る、知るためにつくられた道具が、ある日突然、われわれの社会を破壊するかもしれない」との指摘は、もう来ており、破壊ではなく社会を組成するために、メディアをいかに活用するかは、私たちの新しい知恵が求められる。
そのベースとして同書では歴史から考察されるメディアの法則性を示しているが、それが希望に向けた出発点とも取れなくもない。
スマートフォンの普及とコロナ禍にある社会環境にあって、メディアの位置づけが変わる中、メディアは「活用」から生活の一部となった。
私も「ズーム」を通じての「学び」の機会を作っている者として、テクノロジーを道具として生活を構成することの方向性を多くの方とまだまだ考えなければならない。
10月16日に愛知特別支援教育研究会主催で行われる講演「WEBでつなぐ新しい学び」(ズーム開催)では、障がい者の学びの必要性や実践など従来お話してきた内容だけではなく、メディアと社会倫理にも焦点を当てて、一緒に考えていきたい。
このメディア史から導かれている私たちの「今」を意識するところから、新しい学びが始める、と考えると、新しい船出なような気もしてくる。
「未来を見てみよう」とは、最近のフレーズとして心地よいが、社会への責任として未来を創造することを考えるには、やはり基盤が必要だ。
同書が最後にこう記している。
「最も重要なこととして、日常生活を破壊する中毒性のあるこれらのメディアの毒牙から逃れるには、日常生活を顧みる必要がある」。
日常生活の中から、メディアと倫理を考えることから始めてみたい。
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image by : TANYA LARA / Shutterstock.com