電気自動車「環境に優しい」は本当か?リチウム採掘の景色に思う

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環境に優しいと言われる再生可能エネルギーの代表格、太陽光発電も日本の狭い国土では、太陽光パネル設置のために山を切り拓くなど環境破壊が伴ってしまう現実があり、休耕地に設置されたパネル群を景観破壊と見る人も一定数います。ガソリン車から電気自動車への流れも決められたレールのようになっていますが、電気自動車を動かすリチウムイオン電池もその出自に遡れば、環境に優しいと断言はできないようです。今回のメルマガ『8人ばなし』では、著者の山崎勝義さんが南米チリに広がる異様な光景を例に、地球という同じ“長屋”に住む住人としての視点で環境問題の本質を探ります。

環境問題のこと

「Google Earth」で南米のチリを鳥瞰すると、南北に細長いその国土の乾燥地帯のあちこちに不自然なタイル状の光沢物が並んでいることに気付く。それらは空の高い位置からだとちょうどソーラーパネルの反射のようにも見える。そのまま画面を操作して高度を下げて行くうちにやっと分かるのである。その光沢の正体が水面の反射である、と。

しかし水といっても所謂「water」ではない。不自然な青、白、黄色とまるでステンドグラスのような水色(すいしょく)である。そういった水を湛えた正方形の池が整然と並んでいるのである。言うまでもなく人工の池である。

さてこの池であるが、実はリチウム田なのである。リチウム電池の原料となる炭酸リチウムを効率よく採取するためにそれを含んだ水を張り、蒸発させ濃縮するための池なのである。それこそ「電池」と言う訳である。

こういった光景に触れるたびに思うのである。「どれだけの環境を破壊したのだろう」と。とは言え、現代の我々にとってリチウム電池は必要不可欠な技術でもある。スマートフォンやPC等の情報端末無しの暮らしは最早想像すらできないレベルである。

さらに2035年になれば欧州ではガソリン車(ハイブリッド車を含む)の販売が全面禁止となる。つまり全ての自動車が電気自動車になるという訳である。そうなればリチウム電池の需要はこれまでの比ではなくなる。その頃にはチリの地表はさながらモザイクタイル貼りのようになっているかもしれない。本当にこれでいいのだろうか。正しいのだろうか。

そもそも、ガソリン車と電気自動車の間の非共通部分(パワープラント等)の環境へのインパクトの総和は正しく計算され、比較されているのだろうか。

ガソリン車は原油を掘るところから、電気自動車はリチウム田を掘るところから始め、同じだけの年数を同じように走行し、廃車後のリサイクル率までを含めての環境性能が示されなければ両者を吟味しようもなく、そう簡単に優劣はつけ難い筈だ。加えて、当然必要となってくるその膨大な電気はどう融通するのか。災害時など電力供給が断たれた場合はどうするのか。意外に問題は多い。

もっと言えば、ほぼ地球の裏側のこととは言え、一国の景観を資源のために悉く変容させていいものだろうか。いくらクリーンな国に住んでいても、地球の反対側にクリーンでない国が少しでもあればあまり意味はない。空も海も究極的には一つだからだ。

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