得意分野ほど優れた人と比較しがち。「自分の仕事」を選ぶことの難しさ

 

当然の帰結

しかしながら、これはそこまで「面白い」話ではないのかもしれません。むしろすごく真っ当な帰結である気がしてきます。どういうことでしょうか。

まず私は本を読んでいました。いわゆる文学に手を出したのは高校生からですが、それ以前はミステリやライトノベルなどの軽い小説を読んでいました。漫画に至っては、よくわからない数を読んでいました。経験の蓄積があったわけです。

書く方も同様です。ワープロ専用機を中学生でゲットし、習作とも呼べないような小説をたくさん書いていましたし、高校生では原稿用紙にボールペンでカリカリとショートショートを(授業中に)書いていました。これまた経験の蓄積がありました。

そうした経験を持つ身からすると、「自分が書く小説」などダメダメだということがわかります。「お金をもらえる作品」を作ることなどできず、それはつまりプロにはなれないことを意味している、ということが理解できます。だから、自分の将来の選択肢に「文筆家」が入ってこなかったのです。

それでも続けるもの

一方で、プロになるという選択肢は消えていても、私は文章を書き、本を読み続けていました。単純に好きだったからです。そうやって続けるうちに、私の文章力は少しづつ向上していたのでしょう。語彙が増え、構成パターンの引き出しが増加し、比喩と概念の扱いが向上していたのだと思います。

しかし、そんな実感はありませんでした。なぜなら、さらにたくさんの本を読み、私の文章の審美眼も上がっていたからです。だから、「自分は文章を書くのが得意である」という感覚を得ることはありませんでした。少なくとも苦手ではないし、ここまで続けているのだから好きなことなのだろうけど、「得意なこと」ではない。そんな感覚を持っていました。

だから、私が一番最初に「本を書きませんか」と出版社さんにお声かけいただいたときは、嬉しさよりも困惑の方が大きかったかもしれません。「えっ、自分みたいなのが本を書いていいんですか!」という困惑です。

世の中には、そうしたタイミングで「ようやく来たか」と準備万端で迎え入れられる人がいらっしゃるのかもしれませんが、私はそうではありませんでした。でもって、そのような困惑はいまだにゼロにはなっていません。今でも、心のどこかには「なぜ自分みたいなのが本を書く仕事ができているのだろうか」という思いが鎮座しています。

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