「ゆかり」でお馴染み三島食品の社長が自称する“変な会社”の生き残り戦術

 

後発なのに販路拡大~躍進を支えた日本初戦略

三島食品の歴史はまさに「挑戦の歴史」だった。

創業は1949年に三島の父・哲男が始めた食品加工業の三島商店。創業3年目に広島でも普及し始めたふりかけに目をつけ、製造に乗り出すが、「問屋に行っても、ふりかけはたくさん扱っていた。ほとんど取り引きをしてもらえなかった」(三島)。地方の後発メーカーなど相手にしてもらえなかった。

買ってくれないなら自分たちで売り方を工夫しようと、始めたのが主婦に向けた「量り売り」。欲しい分だけ買えると評判になり、家庭用市場に進出する。

さらにこれを発展させて、1959年、一食分ずつの「小袋ふりかけ」を開発。それを学校や病院の給食用に売り込み、新たな販路を切り開いた。

「親父は結構いろんなことやっていました。どれだけ独自に新しいことをやるのか」(三島)

コンビニがほとんどなかった時代に、自社のふりかけを使ったおにぎり専門店「サラヤ」まで始める。当時珍しかったフランチャイズ形式で全国800店舗にまで拡大させた。

そのDNAを受け継いだ2代目も新たな挑戦を次々と仕掛けている。

若い女性が集まる東京・墨田区の和風カフェ「おぼんdeごはん 東京スカイツリータウン・ソラマチ店」で、三島食品の作ったものが人気となっている。それは客の6割以上が白いご飯に替えて注文する「ひじきご飯」だ。

使われているのは、4年前に三島食品が開発したマイナス18度以下で保存するふりかけ。中身は「ひじき」「金ごま」「キヌア」など5種類の穀物が入っている。通常のふりかけより生に近いため、しっとりしていて、素材の食感もそのまま残る。

一方で、ふりかけの新たな使い方も提案している。

たとえば「ふりかけ3姉妹」を餃子の皮において見た目も楽しい水餃子に。「ゆかり」をまぶしたおはぎもある。こうした使い方を次々と発信しているのだ。

「ご飯のお供以外にも使い方は無限にある。万能調味料ということをみなさんに知っていただきたい」(開発本部・富士由美)

こうした新たな挑戦を連発して三島食品は売上高138億円、ふりかけ業界2位にまで駆け上がってきた。目指す会社について、三島はこう語った。

「変な会社。変な会社と言っても“変化に対応できる会社”、という意味です。大きな変革が来た時に生き延びなきゃいけない。そのためには“変化を起こす会社”にする必要がある」

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