食道園が1946年に創業した時の看板(2つのように見えるが)、上の方の看板には「焼肉 元祖食道園 冷麺」下の大きい看板には「平壌冷麺 食道園」とあるが、「麺」の字が「米面」となっている。
いずれにせよ、日本で初めて冷麺を屋号に掲げたのは、食道園で「平壌冷麺と焼肉の店」との定説は、しばらくは続くのではないだろうか(私は神戸の元祖平壌冷麺店を取材しなければならないのだが、コロナ禍にかこつけていまだに行っていない)。
さらに、食道園では日に3000杯に達する人気店に成長し、この成功を手本に焼肉店が全国に広がったと評価されている。
焼肉店と冷麺は、戦前から存在していたのであるが、私の日本焼肉物語には、このことについてまったく言及しなかったのは、著者の怠慢か勉強不足によるものと今では反省して深く反省している(後日、日本焼肉物語の改訂版が出るようであれば、焼肉店と冷麺を大々的に取り上げる予定)。
さて、冷麺は朝鮮半島に由来するが、冷麺の存在を始めて記したのは、朝鮮半島の文献『東国歳時記』(1849年)で、同書によると「冷麺は11月(新暦で12月)の季節料理として紹介されており、冷麺は夏の料理ではなく、冬の料理だったことがわかる。
朝鮮半島の冬、特に北部は寒さが厳しく、オンドル(床下暖房)で部屋をポカポカに暖め、その中でキンキンに冷えた冷麺を食べると格別においしく、食べた人は、アイゴーシオナダ(ああー、美味い、すっきりした)と言うのである。
本書で言う「北部が美味」の北部とは、平壌を指すと言われるが、山間地帯の北部は、ソバ栽培と発酵食品が豊かであるが、稲作農耕に適さないために、米食よりも粉食が食生活の中心であった。
さらに次号に続く。(宮塚コリア研究所代表 宮塚利雄)
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