なぜコロナ対応で「日本が一人負け」しているのか?上昌広医師が指摘した真の理由

2022.01.27
by 上昌広
 

では、海外はどうなのか。図1をご覧いただきたい。1月21日の経済協力開発機構(OECD)加盟国の人口1,000人あたりの検査数(1週間平均)を示す。日本は1.18件で、メキシコに次いで少ない。マレーシア(3.25件)やインド(1.27件)にも及ばない。多くの国は、オミクロン株の流行下でも、日本とは桁違いの検査を実施していることがおわかりいただけるだろう。

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なぜ、こうなるのだろうか。厚労省が、強い意志で検査数を抑制しているからだ。日本の検査数は、そもそも目標が低い。現在の日本の1日あたりの検査能力は約38万5,000件だ。もし、この数の検査を実施したとしても、人口1,000人あたり3.06件に過ぎず、いまだマレーシアに及ばない。

ちなみに、昨年8月27日には27万5,680件の検査を実施している。デルタ株の大流行を経験した後も、検査体制を強化していなかったことが分かる。

日本の検査体制は、検査能力が低いことに加え、稼動率も低い。1月21日の検査数は、検査能力の39%に過ぎない。年が明けてもっとも検査数が多かった1月14日ですら21万7,291件で、稼動率は56%だ。

なぜ、厚労省は検査を絞るのか。それは、感染症法で、法定の感染症患者に対して、知事は「入院させるべきことを勧告することができる」と規定されているからだ。この条文があるため、入院させずに自宅で死亡すれば、知事が責任を追及される。この結果、リスクを回避するため、知事は全感染者を入院させようとする。軽症であることが分かっていたオミクロン株でも、当初、全感染者を入院させたのは、このためだ。

感染症法は、コレラや結核を念頭において立法された。毎日数万人の感染者が出るコロナは想定外だ。感染症法の強制入院規定こそ、我が国の感染症対策の問題を象徴している。社会の防疫のために隔離を優先し、感染者の検査や治療体制の強化は軽視する。明治時代に内務省衛生警察が所管した、隔離ありきの伝染病予防法の影響を残している。

ここまで国家が医療を統制するなら、検査キットのロジは、厚労省が責任を負うべきだ。ところが、厚労省は都合が悪くなると、勝手に解釈を変更する。1月24日、厚労省は、濃厚接触者が発熱した場合など、自治体の判断で、検査を実施しなくても、医師がコロナ感染と診断出来るように方針を変更した。これは滅茶苦茶だ。コロナと診断するのは医師の仕事だ。自治体の判断は関係ない。麻疹や水痘のような特徴的な臨床所見がないコロナ感染は、検査なしでは他の風邪と区別できない。厚労省の言い分は、医学的合理性がない。

さらに、厚労省は、1月24日、若年者などリスクが低い人が、市販の検査で陽性と分かった場合、医療機関を受診せず、自宅療養を認めると方針を転換したが、これも問題だ。医療を受ける権利は、憲法で保障された基本的人権で、厚労省の許可など要らない。ところが、このことに誰も問題を感じない。朝日新聞は1月25日の朝刊一面で「受診せず自宅療養可」と、厚労省の言い分をそのまま報じている。

我が国のコロナ対応が、国民の意向を無視した、官僚主導の国家防疫であることがわかる。実は、このことが、コロナ対応で、我が国が一人負けの本当の理由だ。コロナは未知の感染症だ。実情に即し、合理的な対応をとるべきだ。海外は、国民の視点に立ち、試行錯誤を繰り返した。

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