北京五輪の裏で緊迫するウクライナ情勢。ロシアの軍事侵攻は時間の問題とも言われていますが、なぜこのような状況になったのでしょうか。メルマガ『在米14年&起業家兼大学教授・大澤裕の『なぜか日本で報道されない海外の怖い報道』ポイント解説』の著者である大澤先生は、この事態の本質が1991年の『ブタペスト覚書』にあると指摘。ウクライナの誠実さが徒になったと解説してます。
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ウクライナ危機の本質、ブタペスト覚書
ソ連崩壊の時、アメリカをはじめとする西側諸国がもっとも恐れたのは、混乱の中でソ連の核が拡散して、テロリストの手に渡ることだったはずです。
ソ連側にも同じ懸念はあったはずで、当時、米国と旧ソ連の間でどのような合意があり、どういった形でソ連全土の核が処理されたのかという事にずっと興味がありました。
公表された合意もあれば、密約もあったでしょう。ついに行方が分からなくなった核もあったかもしれません。
今回のウクライナ危機に際して、関連する記事がありましたのでご紹介します。以下、ニューヨークタイムズ、2月5日記事です。
冷戦終結時、地球上で第3位の核保有国は、イギリスでもフランスでも中国でもなかった。ウクライナである。
ソビエト連邦の崩壊は、1991年12月に頂点に達し、新たに独立したウクライナは、ソ連が自国に配備した約5000の核兵器を受け継ぐことになった。
ウクライナはその時、ロシアや米国などからの安全保障と引き換えに、数千個の原子兵器を引き渡す重大な決断をした。
ウクライナは核軍縮と引き換えに、鉄壁の安全保障を要求したのである。
1994年、その誓約は具体化された。 ブダペスト覚書と呼ばれる協定はウクライナに対して武力や脅威を行使せず、その主権と既存の国境を尊重することを約束したものであった。
その覚書に従い1996年に最後の核兵器がウクライナからロシアに移送された。
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