第6波が来た時、まず我々はその数に恐怖した。それが連日の報道でいつしか普通のこととなり、今ではその手の数の話にはすっかり順化してしまって「まあ、そんなもんだろう」くらいに油断してはいないだろうか。
「ニューノーマル」などと言った、生まれて間もない公共理念程度ならその時その場の個人の都合でいくらでも低くその基準を上書きできる。基準は高く上げるより、低く下げる方が余程簡単だ。それに何より我々は「ニューノーマル」に疲れている。「オミクロン株のあの暴力的な数でも大丈夫なら大概のことは…」こんなふうに考えても心情的には理解できる。
そんな今こそ我慢だ。誰の手柄かも何の御蔭かも分からないような「勝手にピークアウト」などおよそ頼むに足りるものではない。据膳の食い物は氷でも浮いていない限り、取り敢えずは「羹」と思うべきだ。少々バカにされても吹いて吹いて吹いて食べるくらいで丁度いいのである。
我々の相手はウィルスである。この2年の間に地球を何周か回り、変異を何世代にも亘って繰り返して来たウィルスである。我々がいくら努力してもなかなかに追いつけるものではない。かと言って努力しなければその被害は計り知れないものとなる。
いまさら言っても詮無いことかもしれないが、3回目のワクチン接種開始が2カ月も遅れたのは政府の怠慢である。油断である。なぜなら、やろうと努力すればできたからである。この件で肩透かしを食らった自治体が全国にどれだけあったことか。
繰り返す。P681H変異による肺毒性の発現は、それこそ明日かもしれないのである。
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