欧米という言葉に対し、対立構図のように使われる中ロ。文字通り中国とロシアをさしていますが、本当に蜜月の関係だといえるのでしょうか。中国出身で日本在住の作家として活動する黄文葦さんは自身のメルマガ『黄文葦の日中楽話』で、中国の若者がロシアに憧れる側面を持っていると語り、プーチンを崇拝している人たちも多いと明かします。
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中国人はロシアにどのような印象を持っている?
【質問】
オリンピックの開会式ではプーチン大統領の存在感がきわだちました。中国の一般の人々はロシアという隣国に対してどのような印象を持っているのでしょう?
【回答】
中国人には、アメリカより、ロシアはずいぶん親しい感じです。
しかし、ロシアに複雑な感情を抱く人も少なくないです。中国とロシア、歴史上、領土問題もあります。昔、中学校の地理の先生が授業でこういうふうに話しました。
「中国とロシアの間に位置するウラジオストクは、私たち国民にとって、忘れてはならない存在です。かつては中国領であったが、臆病で無能な清国政府が賠償金を支払い、当時のツァーリ政府にウラジオストクを割譲したのは1860年のことであった。私たち国民にとって、これはつらい思いでしょう」
50代以上の人たちにとって、ソ連はかつて憧れの国であったと思います。ソ連は世界で初めて社会主義体制を確立し、社会主義思想の輸出国であった。ソ連はかつて総合的な社会主義国として最も強い国であり、社会主義陣営の中で大きな役割を担っていました。
中国が建国された1950年代、ソ連と中国の間には蜜月期があり、中国の外交政策は「一方的ソ連より」であり、両国間の関係も熱くなっていました。中国人がかつてソ連のことを「お兄様」と呼ぶのです。
1954年、ソ連の党第一書記と首相のフルシチョフは大規模な代表団を率いて中国を訪問し、中ソ関係の「ハネムーン期」を迎えた。この時期、フルシチョフは積極的に対中政策を調整し、中国とソ連は、初めて政治、経済、軍事、文化の面で平等な立場に立ち、対等な支援と援助を受けることができたということです。
しかし、1959年、フルシチョフがアメリカを訪問し、アイゼンハワー大統領と会談、米ソ共存路線を推進したが、中国との関係は悪化したわけです。
今、中国の若者が抱いているロシアに対するイメージとは、ロシアは軍事大国であり、笑顔を好まない戦闘民族です。また、中国の若者はロシアの歴史やプーチン大統領に非常に興味を持っているようです。中国の一般の人々はロシアに対して、寒さやウォッカ、美女、ロシアパンなどキーワードを想起するわけです。
ロシア美女と結婚した中国人男性が羨ましがられるのです。さらに、多くの中国人はプーチンを崇拝し、「プーチン大帝」と呼んでいる。プーチンは素晴らしく、とても魅力的な男性だと思われます。
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