まさに教育者の鑑。渋沢栄一の孫が語る、新渡戸稲造の知られざる素顔とは

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江戸時代末期に生まれ、国際人として明治・大正・昭和と激動の時代を生き抜いた教育家・農政学者である新渡戸稲造。五千円札の肖像になったことでも知られていますが、そんな新渡戸の素顔を語ってくれたのは、渋沢栄一を祖父に持つ鮫島純子さん。メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』の中で新渡戸にまつわる秘話を紹介しています。

素顔の新渡戸稲造先生

渋沢栄一の令孫で100歳になられるいまもエッセイストとして活躍中の鮫島純子さんは、幼い日、家族と一緒に名古屋に向かう汽車の中で偶然、新渡戸稲造博士と出会います。その時の新渡戸博士と鮫島さんの会話から博士の温かい人柄が伝わると同時に、生きていく上で大切な考え方を教えられます。

お届けするのは、『致知』2006年6月号に掲載された文学博士・鈴木秀子さんとのご対談の一部です。

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鈴木 「そういえば、鮫島さんは子供の頃、新渡戸稲造先生にお会いになったとか。生きて新渡戸先生を知る貴重な存在ですね」

鮫島 「あの時は父が名古屋方面に行く用事があって、私も連れていってもらったのです。わが家は普段の生活は質素でしたけれども、父と汽車に乗る時だけは二等車に乗せてもらいました。

当時の二等車はガラガラで、子供でも好きなように遊べたのですね。そのうちにだんだん厭きてきましたら、後ろの席にいらっしゃるおじいちゃまが私に紙切れをお渡しになった。

見ると『お名前は何とおっしゃいますか』と書いてあるのです。昔のことですから『純子と申します』と書いてお渡しすると、『お年はお幾つですか』とすごく丁寧な文字で返してくださって、そういうやりとりを繰り返しているうちに、すっかり仲良くなりましてね」

鈴木 「それが新渡戸先生だった」

鮫島 「ええ。でもそんなことはもちろん知りません。その方のボックスに入り込んでお話を伺っていると『ご家族と一緒に楽しい旅ができるということは、なんとお幸せなことでしょうね』とおっしゃって、それにはたくさんの方々のご恩を受けてこそですねと説明してくださった。

そして私の指を一本一本折り曲げながら、誰のおかげで旅に出られたかを考えるよう促されるのです。『お父様、お母様、それから留守番の人々、旅に出る服を整えた人、列車の運転手さん……』というふうに」

鈴木 「無数の縁で生かされていることを教えられたのですね」

鮫島 「そしてその種の尽きる頃に、『お天道様や空気や雨もなくてはなりませんね。それはどなたがくださったのでしょう』と神の大いなる恵みの中で我われが生きているという気づきを促されたのです。だから神様への感謝を最初に知らせていただいたのは新渡戸先生だったのだなと思います」

鈴木 「旅で出会った見知らぬ子供にまで神様のことを伝えようとされていたのですね」

鮫島 「小さなチャンスを捉えて伝道といいますか、神様の恩寵をお話しになっていた姿勢に、私たちも学ばなくてはならないと思います。

旅が終わる頃になって、父が立ち上がって『汽車から降りる支度をしなさい』という意味でこちらを見ましたら、一高時代の恩師である新渡戸先生がいらしたわけでしょう。

驚いた表情で『おや、先生じゃいらっしゃいませんか』と丁寧にご挨拶をすると、先生は『そうですか。あなたのお子さんでしたか。遊ばせてもらいました』と笑っていらした。私は優しい新渡戸先生のお顔を思い出すたびに、いまも感動の気持ちでいっぱいになります」

(※ 本記事は月刊『致知』2006年6月号より一部を抜粋・編集したものです)

image by : ウィキメディアコモンズ

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【著者】 致知出版社 【発行周期】 日刊

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