今この文章を書いている僕は、まさにこんな感じで朝に呟いたような心境です。毎日は、いいことも悪いことも、当然あるし、終わることだって、続くことだって、なんなら回帰することだってあるのです。おもしろいことが思いつく日だって、悲しいことが起こったりする日だって、新たな出会いも、当然の別れも、愛情も、憎悪も、当然込み込みであるわけです。でもそんな日々も自分がこの世界から消えてしまえば、それこそ一瞬で遮断されてしまうわけです、それも一刀両断に、言語道断に、有無も言わせず、間髪入れずに。
どうせいつの日かそう遠くない未来に、この世界から遮断されるわけです。ならば、今この生きている瞬間に、自分の人生を、この世界から遮断する必要なんてあるのだろうか?そんな想いが、今の僕のこの新月の心境です。つまりぐるーっと回って、元の想いに回帰してきたとでもいうか。
でもこの回帰している期間は、むしろ無駄な迂回道だったって訳ではないと思うのです。だって、少なくとも、悲しいことも、嫌なことも、それらを嬉しいことや楽しいことと、一緒に込み込みで、受け入れようという心境には、若干でも遷移している自分に気づくわけなのです。
そうなんです、宇宙空間を高速で移動する星々のように、僕らは、この宇宙空間で、二度と同じ場所にはいられないわけです。そして自分という個体はその瞬間瞬間に細胞が生まれ変わって、二度と同じ身体でいることはないわけです。そして、この世界と接続している自分自身の精神は、刻々と伝達される情報更新の中で、もはや同じ想いのままで生きられるわけなんて、二度とないのです。
なので、また新しいことを、今日、この新月に、新しい自分が、始めてみるわけです。それ自体が新しいことでなくたって、もはやそれを始める自分は、昨日までの自分とは違うわけですから。
つまり、始まりは、何回始まったって、初めて、なわけなのです。そして、この世界から消えてしまう日まで、日々の人生なんて、はじまりの連続なのです。
ならば、僕は、回帰しようと想います。過去を後悔しようとも時には想います。未来を諦めてしまおうとも時には想います。他人を憎悪したり、世界を唾棄したりを、繰り返して生きていきます。でも、それでも、そんな想いをまた、拭い去って、捨て去って、前を見てみようとも想います。
なんて、バカな自分。時に、自己嫌悪を繰り返しながら、そんな自分を、時に励ましながら、周りに励まされながら、周りを励ましながら、孤軍奮闘で、時に誰かと一緒に、前途洋々に、時に座礁しながら、それでも、日々を、日々の人生を、はじめてみようと想うわけです。この世界から消えてしまう日まで、そうやって生き続けていくんだろうと想うのです。
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