司馬遼太郎が見抜いていたロシアという国の本質。何も変わらない強欲な素顔

Evening light on Red Square. The St. Basil's Cathedral and the Spassky Tower in the rays of the setting sun.Evening light on Red Square. The St. Basil's Cathedral and the Spassky Tower in the rays of the setting sun.
 

ロシアがウクライナに軍事侵攻を開始から3か月が経過しましたが、事態は好転する気配すら見えていません。そんなロシアについて、小説家・司馬遼太郎は何十年も前に国としての本質を見抜いていたようです。そこで今回は、メルマガ『1分間書評!『一日一冊:人生の智恵』』の中で、『坂の上の雲』を書いた際にロシアについて考えてたことをまとめた一冊を紹介します。

【一日一冊】ロシアについて 北方の原形

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ロシアについて 北方の原形』司馬遼太郎 著/文藝春秋

1986年に『坂の上の雲』という大作を書いた司馬遼太郎が、ロシアについて考えてきたことをまとめた一冊です。司馬のロシア感は、ロシアとは16世紀頃に成立した若い国家であるということです。

16世紀末にはイェルマークが、コザックに銃と大砲を持たせてシベリアに進出しました。ロシアは大砲と銃によって原住民を抑圧し、毛皮をとりあげ、17世紀中には東端のカムチャッカ半島にまで到達するのです。

ロシアではシベリアとアラスカで毛皮を集め、販売する露米会社が存在しました。この会社が事実上シベリアとアラスカを所有していたのです。当時の露米会社の課題は、シベリアで毛皮を集めて運ぶ商人の食料と野菜不足でした。

そこで南方の日本に毛皮を売り、食糧を買うことができれば、ロシアにとって一石二鳥。ところが日本は鎖国政策をとっており、いかに日本を開国させるのか。それは捕鯨をしていたアメリカと同じ問題意識を持っていたということなのでしょう。

ロシア人によるロシア国家の決定的な成立は、わずか15、16世紀にすぎないのです。若いぶんだけ、国家としてたけだけしい野性をもっている(p10)

ロシアの対外行動には、一つの法則があります。それは、弱い国や地域には侵攻するものの、防衛力がととのっている国に軍隊を派遣しようとはしないということです。

そして近隣地域で内乱がおきたときは、救援を求めてくるグループを支援し、そのグループを守るためという理由で派兵し、その地域をロシア領にしてしまうのです。

現在のロシアのウクライナ侵攻も、まったく同じように2014年に独立を宣言したドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国をネオナチの虐殺から救うということを名目としているのです。

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