日本人の年収は、なぜ25年で「550万円」が「372万円」まで下がったのか?

 

1つ目の「残業」は、高度成長期に「メイド・イン・ジャパン」の製品が世界で評価され、需要が急激に拡大したときに、追いつかない供給をカバーする目的で生まれました。90年代にデフレで供給過多になり、生産設備と共に人も減らしたのに、残業文化だけは残りました。

週50時間以上働くと労働生産性は下がり、63時間以上働くと仕事の成果も下がるという研究結果もあるのに、過労死基準を越えようとも関係なし。挙げ句の果てに、「残業月100時間未満」という、過労死を合法化するような制限まで加えたのです。

人をロボットと勘違いした経営者は、その後もコスト削減に奔走します。米国=世界と盲信した経営者は文化も国民性も違うのに、さまざまなアメリカ産を導入。これが2つ目の要因です。成果主義も、裁量労働制も、「世界は~」という枕詞をつけて「これでコスト削減になる!」という期待を込め、取り入れたのです。

さらに、「人への投資」も渋るようになりました。日本の「人材育成投資」のピークは、バブルが崩壊した直後の1991年です。その後徐々に低下し、1997年、1998年の金融危機を経ると一層減少が大きくなり、2015年の人材育成投資額は、ピーク時のわずか16%です。

人に投資すれば人は成長します。投資は「あなたに期待しています」というトップからのメッセージです。期待された社員は想像力を駆使し、「買いたい!お金を払いたい!」とお客さんが思う商品を生み出します。企業も、働く人も、お客さんもニコニコで三方良し。これこそが生産性向上の極意です。

生産性向上=コスト削減ではないのに、目先のコスト削減に走った結果、付加価値のある商品を作る地盤を弱体化させた。十分な休養や余暇を与える投資、スキルや知識を習得するための研修を強化させる投資に目をむけなかった末路が、上がらぬ賃金であり、減り続ける所得です。

そして、今度は「ジョブ型」をスローガンに掲げれば、生産性は向上するという勘違いも生まれています。ジョブ型の勘違いについては長くなりますので、またの機会に取り上げますね。

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