無駄の極致。昭和の遺物「ベルマーク運動」が子供に教える“日本終了”

 

昭和30年代当時の日本は貧しかったので、多くの職場の「お茶」は自腹でした。つまり茶封筒で「お茶代」を現金で集金して、その金で茶っ葉を買ってお茶汲みをしてもらう、そんな習慣があったのです。封筒で集めるというのは、そんなイメージでしょうか。

どうして企業別の封筒に集めるのかというと、つまり、ベルマークの「原本」を各企業に送る必要があるからです。それは「こんなに集まった」と言って企業が喜ぶからではなく、企業は企業で「本当に正当な寄付行為」かを国税に対して証明したほうが安全、だから「原本」が必要だと、国税OBなどの税理士に脅迫されているからだと思います。

日本の生産性を壊滅的にして国を滅亡に追い込む「原本大好き主義」がここでも顔を覗かせているわけです。それはともかく、ありとあらゆる実務、商品の包装に印刷された「企業番号と点数入りのベルマーク」にしても、企業別の封筒から、PTAのベルマーク委員を経験した人が誇らしげにアップしている「『便利』な集計台紙のPDF」にしても、このシステムの隅々に、日本終了の死臭がプンプンしています。

それ以前の問題として、全国の学校におけるPTAの「ベルマーク委員」は大変です。本当に昭和時代のチマチマした事務仕事に、貴重な時間を奪われているのですから。その苦痛の総体というのは、筆舌には尽くし難いと思います。

こうなると、ベルマークというのは、子供に対して「もうこの国にいては未来はないよ」ということを教育するためにやっている、冗談ではなく本気でそう思います。

恐らくは各学校のPTAでは、立候補する人などはいないので、くじ引きで「ベルマーク委員」を決めているのだと思います。その引き継ぎの際には、前任者からまるで虐待やパワハラの連鎖のように「とにかくこの集計台紙を使いなさい」とか「企業別の封筒を間違えてはダメ」という命令を受けるのだと思います。

心ある人、自分の人生やこの国の将来に希望があり、そのためには変えるべきを変えたほうがいいと思っている人は、その瞬間に「もうダメだ。この国は終わってる」と実感するに違いありません。

少し見方を変えるのであれば、このベルマークの切り貼りという作業について、もしかしたら「問題を感じない」とか「どうせ変わらないので変革の声を上げても損なだけ」という種類の人があるわけです。「自分が我慢したのだから、次の人も当然我慢せよ」というのも同じです。これからの日本を考えたときに、「その種の人だけ」がこの国に残っていくというのもホラーです。怖過ぎて想像しただけで納涼レベルとも言えます。

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