無駄の極致。昭和の遺物「ベルマーク運動」が子供に教える“日本終了”

rizi20220705
 

1960年にスタートして以来、60年以上に渡り連綿と続けられているベルマーク運動。その慈善的なコンセプトはもちろん賛同に値しますが、収集を巡る一連の作業が「前近代的」と言わざるを得ないことは疑いのない事実です。そんな運動の「出口戦略」を探っているのは、米国在住作家の冷泉彰彦さん。冷泉さんは自身のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』で今回、ベルマーク運動の多すぎる問題点を指摘するとともに、「出口」として実効性のあるスマートな代替システムを提案しています。

※本記事は有料メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』2022年7月5日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

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「日本病を考える」(1)ベルマーク運動の出口戦略は?

ベルマーク運動というのは、もう終わったのかと思っていました。それこそパンデミックの数年前、PTA不要論が本格的に出始めた時期に、真っ先に槍玉に上がっていたからです。ベルマークをチマチマ切って台紙に貼る作業を押し付けられた母親が、シンガポール出張の滞在先のホテルで作業しながら、日本終了を実感した的なコメントがSNSに溢れていたのを記憶しています。ですから、もう終わっていてもおかしくない時期です。

ですが、このベルマーク運動、まだ続いています。では、デジタル化とかそういう改善があったのかというと、試みとしてはあったようですが、結果的にポシャっており、今でもチマチマした切り貼りの作業は全国で続いています。

初期のベルマークについては、「僻(へき)地の学校を助ける」というのが立派なスローガンになっており、それこそ純真な昭和の家族や学校が、理想に燃えて集めていたのは事実です。しかし、今は21世紀です。

チマチマとベルマークを切り貼りしているうちに、「日本全国が僻地になってしまった」というのが真相ではないでしょうか?とにかくベルマークの話を聞くたびに、日本終了と言いますか、諸行無常の悲しい風が吹いていくのを感じます。

現在のベルマークですが、往時とは全く変わっていません。とにかく商品のパッケージについているマークをチマチマと集めて、主催団体に送るというオペレーションは昭和の時代のままです。

ちなみに、「スポンサー企業別に仕分けし、その上で点数別に分けて台紙に貼る」という作業は、主催団体としては「不要」としています。ですが、各学校のPTAでは、歴代の「ベルマーク委員」の申し送り事項として「鉄の掟」として「台紙貼り」を死守しているケースが多く、多少改革意識のある保護者が数名立ち上がったとしても改革は難しいようです。

では、ルール上は「台紙貼り」は不要だとして、各学校で集めたベルマークをザクっと一つの封筒に入れて送ればいいのかというと「違い」ます。

これは公式のルールなのですが、ベルマークは「スポンサー企業」別の「専用封筒」を請求して、その企業別に仕分けしたベルマークを、その専用封筒に数を書いて入れて送ることが義務付けられています。その際に、「日清食品」と「日清食品ウェルナ」と「日清オイリオグループ」は別なので封筒も専用の別のものが必要だとか、まるで昭和30年代の事務仕事かよというようなワケワカラン規則があったりします。

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