絶賛とはならなかった『天気の子』はなぜここまで意見が割れたのか

Blue sky with white clouds.
 

しかし、ホダカの“世界の天気”とか“世界の幸せ”を考える利他的な部分の成長は、最初からあまり描かれていません。利他的に他者の幸せを願う存在はむしろヒナが担っていて、この二人のカップルでおよそ一人の人格のような感じがします。

よくよく注目すると、ホダカは最初から最後までずっと利己的で、ヒナはずっと利他的です。二人で晴れ女のバイトをして社会貢献するシーンはありますが、どちらかといえばこれは二人の絆を深めたり、自己実現をしていく役割を果たしており、利他性が育つシーンとしては弱いです。

そんな中で最終的にホダカがヒナを選んだとしても、そこまでに二択で悩んだ経緯が一切ないため、選択に重みがありません。

彼の成長の結果、利己性を選んだという理由付けが薄いため、観客によっては「ただ子供のわがままを押し通しただけ」という印象になってしまうでしょう。

自分なら、ホダカの利他性が育つシーンとヒナの利己性が育つシーンを分かり易く追加します。

そもそもヒナが人柱になると知るのは、既に晴れ女を辞めてからですが、この認知をもっと前の段階にします。人柱になるかもしれないというのを知って尚、晴れ女を続けるか否か(伝説を楽観的に捉えるかどうか)という葛藤を描けば、例えばホダカとヒナが口論するシーンも描けますし、お互いの利己性と利他性を成長させられます。

そして何よりラストのシーンで決断がホダカにのみ偏ってしまっているのを、二人の決断とすることができ、より大団円間が増します。

個人的にヒナの意志が最初から最後まであまり見えないのが残念なんですよね。

あと、基本的に説明的なカットが長いと感じます。ホダカの独白調の語りがストーリーの締めを担うのですが、正直必要とは感じません。十分カットで分かるし、そこが『君の名は』と比べて冗長さを生んでいる要因だと思います。

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