また、細かいことを言えば、ホダカもとい監督の誇大妄想感が気になります。
例えば、物語のラストでホダカが自分の決断を自分で納得させる場面ですが、「元々世界は狂っている」という表現があります。これぶっちゃけ必要ありません。
せっかく利己性と利他性の選択の話をしてきて、そのどちらに正しさがある訳でもないのに、だからこそホダカは自分のせいで「天気が狂った」と気にするのに、最初から世界が狂っていると言ってしまったら、ホダカが絶対正義になってしまいます。
物語の重みが一気になくなりますし、このインパクトのある言葉が観客に無駄に刺さってしまうため、このような賛否を生んだと思います。
ここは識者によれば、新海監督の個人的な信条を代弁した部分なのだそうですが、そんな監督の思いなんてこっちは知ったこっちゃありません。
また、舞台はほぼ東京のみが描かれるますが、主人公はしきりに世界世界と口にします。これは主人公の周りの見えない性格を表しているのか、それとも脚本の中で練られていないのか、正直気になりました。
そもそも今時離島から東京に出るみたいな話って、演歌じゃあるまいしあまり共感を呼ばないような気がするんですよね。
世界という言葉をセリフにする以上、場面としては世界の天気の状況を入れないといけません。なのにほぼ関東地方だけというのはどうも監督の世界観の狭さを感じてしまいますね。
前作『君の名は』もそうでしたが、「田舎から出る」というテーマを果たして現代で描く意味があるのか、ちょっと疑問ですね。正直あまり効果がない気がします。
という訳で『天気の子』解説を終わります。
なんにせよ、2回人に見させる作品なんてそうありません。良作と言って良いでしょう。
今回もご購読ありがとうございました。
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