菅前首相の「弔辞」で注目。山県有朋を痛烈に批判した石橋湛山の金言

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安倍元首相の国葬で、菅前首相が友人代表として贈った弔辞は、「まるで恋文」と評する人がいるなど大きな反響を呼びました。そこで名前が上がった山県有朋公とその国葬について、自民党総裁で首相も務めた石橋湛山による痛烈な批判の言葉を紹介するのは、評論家の佐高信さん。今回のメルマガ『佐高信の筆刀両断』では、石橋元首相が病に倒れたために安倍氏の祖父である岸信介氏が首相となり、自民党と統一教会の関係も深くなったと、数奇な縁を指摘しています。

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死もまた社会奉仕

統一教会との関係が共に深いという意味で「友人」だった菅義偉が安倍晋三の「国葬」で弔辞を読み、その中で安倍が読んでいたという岡義武著『山県有朋』(岩波新書)に触れたことで、この本が品切れ状態らしい。

しかし、とびついた人はもちろん、安倍も菅も、藩閥政治の親玉である山県が死んだ時に石橋湛山が次のように痛烈に批判したことなど知らないのだろう。

拙著『平民宰相 原敬伝説』(角川学芸出版)にも書いたが、長州閥の総大将として陸軍を牛耳った山県は、東京は目白の椿山荘をはじめ、大磯に小淘庵、京都には無隣庵、小田原に古稀庵、小石川に新々亭、麹町に新椿山荘と幾つもの別荘をもった老害のドンだった。原敬にとっては最大の身内の敵とも言えたのである。

その山県が亡くなった時、湛山は1922年2月11日号の『東洋経済新報』にこう書いた。

「山県有朋公は、去る1日、85歳で、亡くなられた。先に大隈侯を喪い、今また公を送る。維新の元勲のかくて次第に去り行くは、寂しくも感ぜられる。しかし先日大隈侯逝去の場合にも述べたが如く世の中は新陳代謝だ。急激にはあらず、しかも絶えざる、停滞せざる新陳代謝があって初めて社会は健全な発達をする。人は適当の時期に去り行くのも、また一つの意義ある社会奉仕でなければならぬ」

湛山はわずかとはいえ、自民党の総裁となって首相に就任した。しかし、病いに倒れてその座を岸信介に譲り渡さざるを得なくなる。あの時、湛山が首相を続けていたら、岸が主導し、孫の安倍晋三が受け継いだ統一教会と自民党の腐れ縁は生まれなかったに違いないのである。

「平民宰相」を名乗った原は凶弾に倒れたが、夫人が国葬の内意を断っている。しかし、山県は国葬だった。それに反対した議員が2名いたことを紹介しながら、湛山はその1人の南鼎三の指摘に次のように同意する。

「吾輩は南氏が、見よ、世の中には親の葬儀さえ営むことのできない貧民が多数ある。それにもかかわらず、その貧民が納めた間接税で、山県公の葬式を行えとは何事であるかと叫べる点に至っては、ただ『然り、然り』と言わざるを得ない。

 

南氏とは、いかなる人であるか知らない。氏のこの反対演説に対して、政友会席から『売名議員』と罵った者があるという。あるいは、そうであるのかも知れない。

 

吾輩は、それでも構わない。人を取らずして、その言を取る。正しき言に対しては叩頭する。これが吾輩の主義であり、これが吾輩の常に世に行われんことを祈願せる処のものである」

27日の国葬の日、私は『毎日新聞』記者の同行取材を受けたが、それが30日の同紙夕刊に載った。また、10月1日付の『東京新聞』で国葬についてのコメントを求められたが、東大名誉教授の御厨貴の甘ったるいそれには呆れた。

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image by: 首相官邸

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