ホンマでっか池田教授が考察「ヘイトクライム」の背後にあるもの

 

違いがあるとすれば、戦争に勝てば、戦勝国とその指導者には多少の物理的な恩恵がもたらされるだろうが、目的を達成しても、植松や有本には何の物理的な恩恵もないことである。もちろん、個人的な恨みによる犯行であっても、物理的な恩恵がないことには変わりはないが、恨みを晴らしたという精神的な満足は得ることができる。一般的には、犯罪は自分にとって何かしらプラスになるものを得る目的で行われるのが普通だ。生活に困って金品を取るというのは最も分かりやすい例だ。麻薬の密売やインサイダー取引なども、バレなければ儲かるだろう。

さきに、植松や有本の犯罪は何の物理的な恩恵ももたらさないと記したが、普通、人は自分にとって何の意味もないことで、意識的な犯罪を起こすことはない。だから彼らも、頭の中では何らかの精神的な報奨があるに違いないと思っていたはずだ。おそらくそれは自分の行為を称賛してくれる人がいるだろうという期待だ。ヘイトクライムを読み解くために、これは重要な論点である。

第二次世界大戦を始めた頃の大日本帝国の戦争指導者やナチス・ドイツのヒトラーは、プロパガンダによって誘導されたものではあっても、国民の熱狂的な支持を背景に、戦争を遂行した自分たちの行為は善行だと信じていたと思う。もしかしたら、信じるふりをしていただけかもしれないけれどね。

障害者を殺傷した植松や、ウトロ地区に放火した有本を公に称賛する人はほぼ皆無であるけれども、彼らの心の中では称賛してくれる人が沢山いるという目算があったに違いない。具体的に言えば、植松は自分以外にも、障害者は社会のお荷物で生きていても何の価値もないので、抹殺されるべきだ、と考えている人が沢山いて、この人たちは自分の行為を称賛してくれると考えていたはずだ。

先に述べたように、ヘイトクライムが他の犯罪と違うのは、犯人に悪いことをしたという意識が希薄で、むしろすごい善行をしたと考えている点だ。この心性はプーチンやヒトラーのそれと同じである。この心性を支えるのは、犯行を正当化する理念である。植松の考えは、多くの人が指摘しているように、ナチスの思想を踏襲したものだ。

植松は「日本と世界平和のために障害者を抹殺する」と多くの人には理解不能な発言をしているが、本人は心底そう思っているのである。「事件を起こした自分に社会が賛同するはずだった」という趣旨の供述をしていることからしてもそれが分かる。

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