スト破りをして納品。吊し上げにあった稲盛和夫がのしあがった理由

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今年8月に逝去した稲盛和夫氏。日本を代表する経営者としてその名を轟かせた彼の経営姿勢は、多くのビジネスマンの参考にされています。今回のメルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、そんな稲盛氏を世間から注目されていなかった頃から見てきた伊藤謙介氏のインタビューを掲載しています。

リーダーとしての天賦の才

どんな偉大な人物にも、若く、世間から注目されない時期があります。今年8月にご逝去された稲盛和夫氏の場合は、どうだったのでしょうか。

氏が鹿児島大学を卒業して入社した松風工業の後輩として、後には京セラの後継社長としてその姿を間近に見続けた伊藤謙介さんの貴重な証言をお届けします。

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小野寺 「当時の稲盛さんはどんな印象でしたか」

伊藤 「5つ年上の稲盛は、僕にとっては兄のような存在でしたね。

そりゃあ厳しかったですけど、優しさもありました。大して給料をもらっていないのに、仕事の後で僕たち部下をよく飲みに連れて行ってくれました。厳しいだけでは人はついてきませんが、稲盛は若い頃からとてもバランス感覚に優れていて、ものすごくシビアでありながらも、皆に夢を与え、やる気にさせる力に長たけた素晴らしいリーダーでした」

小野寺 「リーダーとしての天賦(てんぷ)の才のようなものがあったのですね」

伊藤 「それから稲盛は、この実験にはこういう意味があるんだと、仕事の意義についてものすごく丁寧に説明してくれました。そればかりでなく、仕事とはこういうものだ。こういう考え方を持って臨むことが大事だという話もよく聞かせてくれました。大学を出て間もない若者とは思えないような立派な仕事観、人生観を既に持っていましたね。

開発した新しいセラミック材料を使った、テレビのブラウン管用絶縁部品は、松下電子工業から大量の注文をいただくようになり、業績不振の会社で唯一の黒字部門になりました。

ところが、大規模なストライキが始まってしまいましてね。稲盛は自分たちが開発したセラミック部品で会社を救いたいと考えていたんですが、ストが長引けば注文に応えられなくなり、せっかく必死で築き上げた信用が水泡に帰してしまいます。

それで稲盛は僕たちに協力を求め、会社に寝泊まりしてセラミック部品をつくり続け、スト破りをして納品しに行ったんです。できた製品を、『ストを破って納めて来い』と言われるものですから、皆命懸けでしたよ」

小野寺 「あぁ、スト破りをして製品を納められた」

伊藤 「組合幹部が抗議に来て、大勢の組合員の前で吊し上げに遭ったこともありますが、稲盛は『この会社にせっかく点った灯(あか)りを消したくない』と一歩も引きませんでした。

当時、まだ二十代だった稲盛がそこまでやったのは驚くべきことです。お客様を大切にするとか、使命感を持って仕事をするといった後の京セラフィロソフィの土台は、もうその頃から固まっていたのではないかと思いますね」

image by:Pavel Kapysh / Shutterstock.com

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【著者】 致知出版社 【発行周期】 日刊

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