田中角栄元総理に関する書籍は数多くあり、ベストセラーとなったものも少なくありません。多くの人が田中角栄氏に魅せられるのはなぜなのでしょうか。今回のメルマガ『佐高信の筆刀両断』では、11月に亡くなった元朝日新聞記者の早野透さんとの共著『丸山真男と田中角栄』(集英社新書)や自著『田中角栄伝説』(光文社知恵の森文庫)もある評論家の佐高信さんが、中澤雄大著『角栄のお庭番 朝賀昭』(講談社)の記述や故石原慎太郎氏の証言を引いて、その魅力の一端を紹介しています。
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社会民主主義者、田中角栄
自著『田中角栄』(中公新書)の余白に、「近く参ります」とメモした早野透は、同年の私を置いて角栄のもとへ去った。『朝日新聞』記者として数えきれないほど角栄と会った早野と違って、私は一度もその機会に恵まれなかった。しかし、早野が“社会民主主義者”と規定した角栄の魅力を発見して私も『田中角栄伝説』(光文社知恵の森文庫)をものした。もちろん、これも私の評伝選に入れる。
その『伝説』をまとめた頃に出会ったのが中澤雄大著『角栄のお庭番 朝賀昭』(講談社)である。オビに「お庭番の仕事は墓場まで持っていかなければならないと信じてきた。しかし今、初めてその禁を破る」という朝賀の言葉が引かれている。
「実家からわずか15分の距離」に「田中角栄記念館」がある朝賀は大学を出るとすぐ田中の秘書となった。それには前段がある。日比谷高校3年の時、自民党本部でアルバイトをしていた朝賀は、当時、政調会長だった角栄と会い、同郷と分かって、こう聞かれる。
「朝賀、キミは来年、高校を卒業したら、大学はどこを受けるんだい」
暑い日で、角栄は扇子をバタバタ動かしていた。
「いや、僕は大学には行かずに板前になろうかと思っています」
母子家庭で母親の苦労を知っている朝賀がこう答えると、角栄の顔色が変わってカミナリが落ちた。
「なんで大学に行かないんだ!若い者が勉強をおろそかに考えているとは、なにごとだ。そんなやつは出入り禁止だ」
すごい剣幕で怒った後に角栄は続けた。
「キミはオレのそばにいて、オレが学校を出ていないことがどれだけハンディになっているのか、分からんのか。学問はどれだけやっても人生の邪魔にはならんぞ。オレは実力では、誰にも負けない。でも彼らは一流の大学を出ている。しかしオレは学校を出ていないんだよ。おい、分かるか…」
そして扇子でポンと膝を叩き、空気を変えるように言った。
「ユーは、外国のお客さんが来たらどうするんだい。ペラペラと英語を話せたら店員からも尊敬されるし、オマエさんだって気分がいいだろう」
おもしろいことを言うもんだなあ、と朝賀は吹き出しそうになって返した。
「分かりました。大学に行きます。その代わり、卒業したら秘書として雇って下さい」
こんな角栄を石原慎太郎は「金権政治家」と批判し、『文藝春秋』の1974年9月号では「君、国売り給うことなかれ」と糾弾した。しかし、それからわずか半年後、都知事選に出ることになった石原は、田中事務所を訪れて「支援」を乞う。そのとき角栄は門前払いをせず、帰ろうとする石原を呼びとめて、「足りなきゃあ、また来いよ」と言ったという。石原の証言である。
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image by: Bungei Shunjyu Magazine, Public domain, via Wikimedia Commons