それでやっと見つけた彼の自伝の本があるのですが、これが半分は この北条攻めの時の「舟橋造り」なんです(笑)。この記述がとてつもなく細かいのも笑っちゃいます。
出てきたのは、富士川を渡るための「舟橋造り」なんですが どうやって作ったのか?
とてつもなく川幅が広くて暴れ川の富士川に橋を架ける技術も時間もないわけで、舟橋だけに「船を川に横一線に並べて繋げ、上に板を張り付ける」のです。
非常にシンプルですが、これが簡単じゃない。そのままだと船たちは流されてしまう。
だからその前に川に鎖を渡すのです。渡した鎖は両岸にある親柱にくくりつけるのですが、これまたこの親柱が頑丈でなければならない。
ここが最初なんです、親柱の打ち込み。 直径は約30センチ。ここまで太いと人間が木槌で打っても地面に入りません。
だから櫓を汲んで上に大石を縄に付けた網を吊る下げて、がっこんがっこんみんなで綱を引っ張って打ち込むわけです。
これを両岸あわせて4本打ってから鎖を渡して船を固定させる。もちろん船にはイカリも付いています。濁流のなかそれをやるんだから大変ですぞー。
それも秀吉が到着する4日で!
さらに小田原までの川は他にも沢山あるんですぜ(笑)。その隙に北条のラッパという忍者に邪魔されたりするわけです。
だから、この伊奈忠次さんは徳川必需の武将になったのですね。
歴史的にも有名ではない人物。派手ではないが、彼がいなかったら徳川の 天下はなかった!
我々もそんな存在になりたいですね。
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