昨年、日本でも大きく報道された、オランダ人画家ゴッホの名作「ひまわり」にトマトスープをかけられた事件。環境問題に異議を申し立てる目的の抗議行動ですが、果たしてこの行動は正しかったのでしょうか? 今回のメルマガ『モリの新しい社会をデザインする ニュースレター(有料版)』ではジャーナリストの伊東森さんが、この事件と地球温暖化懐疑論者のどちらが悪いかについて持論を展開しています。
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ゴッホ「ひまわり」トマトスープ事件とは?
昨年10月、イギリス・ロンドンのナショナル・ギャラリーに展示されているゴッホの名作「ひまわり」に2人の若者が近づき、作品にトマトスープをかけ、自らの手を接着剤で壁に貼り付けるという事件がおきた。
この事件は日本でも大きく報道。120億円以上もするゴッホの代表作を傷付けるような行為に批判が集まり、
「エコテロリズム」
などと呼ぶ批判の嵐が巻き起こった。しかし、当のイギリスでは受け止め方が日本と異なっているようだ。英国では、66%もの人が今回の行動に理解を示している(1)。
そもそもの問題は、今までのやり方では、まったくもって不十分であったこと。彼ら環境活動家の熱心な活動にもかかわらず、気候変動対策は一向に進まない。
そればかりか、時が立つにつれて二酸化炭素を排出”する”側が、将来の地球への影響を認識しながら、なんら対策をしていなかったことが明らかとなった。
さらに国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が、「人間の影響が大気、海洋及び陸域を温暖化させてきたことには”疑う余地がない”」と繰り返し述べているのにもかかわらず、日本ではいまだ地球温暖化懐疑論が跋扈する有様だ。
それでは、彼ら地球温暖化懐疑論者はどのような”暴力的”言説を垂れ流してきたのだろうか。
・気候正義とは
「気候正義」という言葉がある。この考えは、気候変動の問題に取り組む際に、最も被害を受けてきた人たちに適切な補償や賠償を行いつつ、彼らが更なる不利益を被らないよう対策を行おうとするものだ。
気候正義は、英語でClimate Justiceともいう。エネルギーの大量消費や森林破壊といった、経済先進国や富裕層の人々の日々の持続可能でない行為が、多大な環境負荷をかけているにもかかわらず、その影響が開発途上国に住む人々や経済的弱者に及んでいるという現状があり、それを是正すべきという考えが、この気候正義である。
事実、途上国では、農業や漁業といった第一次産業の比重が大きく、気候変動による環境の影響を受けやすい。よって地球の気温が2℃上昇すると、アフリカの人口の半分以上が栄養不良のリスクにさらされるという指摘もある。
まだガバナンスやインフラの整備が遅れている地域では、海面上昇による海岸線の消失、洪水、山火事といった災害が発生しやすいという研究もある。
気候正義に似た言葉として、「環境正義」というものがある。これは、公害による健康被害といったしわ寄せを、貧困層やマイノリティなどの社会的弱者が被ることは公平ではないという主張だ。気候正義という言葉は、環境正義という視点を地球規模に広げたものでもある。
いかにして暴力的な地球温暖化懐疑論は生まれたのか