EU議会で可決の「EV移行法」が、最後の閣僚会議でドイツ反対によって覆りかけている現状

Heilbronn, Germany - November 4, 2021: A Tesla Model 3 charging at the LIDL supermarket DC charging station. Sensor parking for maximum one hour. Rainy autumn day. Selective focus.
 

自動車のエンジンは、主にドイツ、米国、日本などのメーカーが、100年もの年月と屈指の技術力で作り上げた宝だ。今やハイテク国となった中国も、それだけはどうしても真似ができなかった。しかしEVならエンジンなど不要。世界は中国の独壇場になる。そうでなくてもEVで出遅れたドイツの自動車メーカーなど、あっという間に吹き飛ぶだろう。

だから今、ドイツの自動車メーカーは、労働力、原材料、輸出コストの節約のため、息急き切って中国に生産拠点を移している。これにより、もちろんドイツの雇用は失われる。そこでフォン・デア・ライエン氏はその対策として、バッテリー生産をE Uに誘致するなどと言っているが、EUで作ったバッテリーが中国製のそれに価格で対抗できるというのは夢物語だ。太刀打ちするには、よほどの優遇措置を取らなければならないはずだが、そうなると、今度はそれがWTOの自由貿易の原則に反する。

氏が勇ましく旗を振る急激なEVシフトは、ドイツだけでなく、その他のEU国をも困窮させている。なぜなら、EU加盟国はドイツほど豊かな国ばかりではないからだ。ドイツの一人当たりのGDPは5万1200米ドル(2021年・以下も同様)だが、ブルガリアは1万2200米ドル、クロアチアは1万7700米ドル。これらの国は、ドイツのように潤沢な補助金を付けることもできないだろうから、2035年からガソリン車の登録を禁止するなどあり得ない。つまり、考えれば考えるほどあり得ないと思えてくるのが、EUのEVシフト政策である。

しかしながら、これら多くの不明点にもかかわらず、冒頭の通り、この法案は今年2月に欧州議会で可決された。あとは、3月7日の交通担当の閣僚会議での形式的な投票を待つばかりだった。ところが、ここに伏兵が現れる。昨年10月に新政権の立ったイタリアである。イタリアの交通相が、35年のEVシフトは時期尚早として反対に回った。

現在のドイツ政府は、社民党の下、緑の党と自民党が加わった3党連立政党だが、実はこの政権は一枚岩ではない。左翼イデオロギーに拘る社民党および緑の党と、自由市場経済を重んじる自民党が、さまざまな政策において常に、それも絶望的なほど対立している。EVシフトに関しても、これまで緑の党の環境相がEUのグリーンディールにガッチリと歩調を合わせ、ガソリン・ディーゼル車の駆逐に励んでいたが、自民党は違った。彼らは、内燃機関の技術と、何よりも雇用を守るため、合成燃料を使用するという条件でガソリン・ディーゼル車も残すべきだと主張していた。これはトヨタの豊田章男社長が前々から主張していたことだ。そして、ドイツの運輸省を司っているのが自民党。その自民党の運輸相が、土壇場になって翻意、イタリアと結んだ。

EUの法律は、加盟国の半分以上が賛成し、しかも、賛成した国の人口の合計が全体の65%を超えなければ成立しない。この件では、ポーランドとブルガリアが反対票を投じることはわかっていたが、そこに人口の多いドイツとイタリアが加われば法律は否決だ。そこで、破綻を恐れたスウェーデン人の議長は、大慌てで会議を延期。今のところ、次の期日は決まっていない。これでは自動車メーカーは、何を目安に経営方針を立てれば良いのかわからず困っているだろう。

日本の論調では、ドイツがまたEUの結束を見出したなどと批判的なものが多かったが、EUの庶民にとっては、「よくぞやってくれた、ちゃぶ台返し!」というところだ。しかし、もちろん、油断はできない。数年前、緑の党は、ガソリンが1リットル5ユーロになれば、人々は車に乗れず、CO2が削減できると言っていた。その彼らが環境省を握っている限り、そのうち合成燃料にも高額の税金がかけられ、庶民は内燃機関の車にもE Vにも乗れなくなるかもしれない。

ちなみに今年のダボス会議では、自家用の飛行機で飛んできた人たちが、カーシェアリングを未来のモビリティとして持ち上げていた。世界のエリートたちが描く未来図では、庶民は飛行機には乗らず自転車に乗り、車はシェア、肉ではなく昆虫を食べ、生活圏はなるべく小さくするのが正しい暮らし方のようだ。

プロフィール:川口 マーン 惠美
作家。日本大学芸術学部音楽学科卒業。ドイツのシュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了。ドイツ在住。1990年、『フセイン独裁下のイラクで暮らして』(草思社)を上梓、その鋭い批判精神が高く評価される。ベストセラーになった『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』、『住んでみたヨーロッパ9勝1敗で日本の勝ち』(ともに講談社+α新書)をはじめ主な著書に『ドイツの脱原発がよくわかる本』(草思社)、『復興の日本人論』(グッドブックス)、『そして、ドイツは理想を見失った』(角川新書)、『メルケル 仮面の裏側』(PHP新書)など著書多数。新著に『無邪気な日本人よ、白昼夢から目覚めよ』 (ワック)がある。

image by : Maurizio Fabbroni/ Shutterstock.com

川口 マーン 惠美

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