韓国元大統領の孫が暴露「光州事件で発砲命令を出したのは祖父」

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民主化を求める市民に韓国軍が発砲し、200人以上の死者・行方不明者を出した光州事件。その際に発砲命令を出したと疑われるも一切認めず、2021年に90歳で亡くなった全斗煥元大統領ですが、彼の孫が今、韓国内で大きな話題となっているようです。今回の無料メルマガ『キムチパワー』では韓国在住歴30年を超える日本人著者が、全斗煥氏の孫が暴露した衝撃的な事実と、それにより韓国にもたらされた大騒動を紹介しています。

全斗煥氏「孫」の謝罪

韓国で5・18(オイルパル)といえば1980年5月18日に光州市で起こった事件。この事件は軍事政権下の韓国で、大統領選挙に対する不満から始まり、学生や市民が民主化を求めて大規模なデモを行ったことがきっかけとなった。政府はこれらのデモ隊に対して発砲し多数の市民が死傷する悲惨な事件となった。

この事件が韓国における民主化運動の起点となり、その後の政治的変革を促すこととなった。また事件が起こった場所である光州市は、現在でも事件の記憶を大切にとどめており韓国の社会・政治・文化において重要な役割を果たしていまる。

この時の大統領が全斗煥(チョン・ドゥファン)氏である。デモ隊に発砲せよとの命令を出したものと考えられているが直接的な証拠が見つかっていないため本人は最後まで「自分は命令を出していない」としていた。オイルパルで犠牲となった家族らは今でも全斗煥氏を許していない。

ところでこの全斗煥氏の孫のチョン・ウウォン氏(27歳)がアメリカにいてユーチューブを立ち上げ、おじいさんの全斗煥氏をはじめ、家族の不正を次から次へと暴露しているのだ。しかもユーチューブをやりながら麻薬をその場でライブで吸ってみたりという凄まじさだった。

ユーチューブでオイルパルの張本人はわがおじいさんの全斗煥であるとはっきりと言っている。全斗煥氏は2021年11月23日に90歳でなくなるまで、自分は発砲の命令を出していないと言っていた。おじいさんがいなくなったことで真実を明らかにしようという気持ちになったものと思われる。

28日午前6時51分、仁川(インチョン)国際空港第2ターミナル1階到着ゲートA前。全斗煥元大統領の孫である全宇源(チョン・ウウォン)氏が両手に手錠をかけられたまま取材陣の前に立った。黒いスーツに紺色のネクタイ姿のチョン氏は頭を下げたまましばらく沈黙し話を切り出した。

「私のような罪人が韓国に来て謝罪できる機会を与えてくださって感謝します。捜査に最大限協力し早く5・18遺族と被害者の方々に謝罪したい」

警察は同日午前6時、定刻に機体と空港をつなぐ搭乗橋が終わる地点(入国ゲート)で、チョン容疑者を麻薬投薬の疑いで逮捕した。ソウル警察庁麻薬犯罪捜査隊は捜査官7人を送り、チョン・ウウォン氏に対する逮捕令状と捜索令状を執行した。チョン氏が米ニューヨークから乗った帰国便の飛行機KE086が仁川(インチョン)空港に到着してから6分後のことだ。現場には有事の際に投入される空港保安要員も多数配置された。

警察はミランダ原則を告知した後、チョン氏を逮捕し他の乗客が全員抜け出した後チョン氏をゲート入口まで連行した。入口前は「ジェイミー(チョン氏の英語名)、ウェルカム・トゥ・コリア」を叫ぶ支持者たちや生中継するYouTuberたち、取材陣でごった返した。あるインターネットメディアは「チョン・ウウォンさん歓迎します」と書かれたプラカードを持ってチョン氏を迎えた。

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