多くの日本人がこの部分で泣き出す理由は、おそらくそこで自分自身を見ているからかもしれない。今成人の日本人は2011年3月11日、自分がどこで何をしていたかを覚えている。テレビで波に流されていく人々を見て、恐怖に震えていた自分を思い出すからだ。すずめを見て彼らもやはり過去に戻って自分を慰めているのではないか。
韓国で『すずめ』が成功したのは韓日間の異なる文化・歴史・地理的背景にもかかわらず、映画が描き出す日本人の体験、巨大な自然の力の前になすすべなく打ちひしがれていた日本人の無力感、恐怖、悲しみの普遍性に韓国人が共感したためだろう。
和解は共感から始まる。この点で『すずめ』の興行は励みになる。しかし依然として韓日間の和解と共感はまだまだ遠い。先週、韓国の国会議員数名がこれといった日程もなく福島に渡って日本農水産物の危険性を浮き彫りにしてやろうとパフォーマンスしている姿を見るとなおさらだ。世界最高の原発技術を保有している米国が当初から処理水放流に支持を示し、国際原子力機関(IAEA)が韓国専門家を含むタスクフォースを構成し、調査の末に日本が採択した放流方法が信頼できるという1次評価を下した。これだけの科学的根拠があるのだ。韓国も関連分野の世界最高専門家の判断に耳を傾けるべきではないのか。
東日本大震災から約10年。日本人たちはその日の悲しみと傷を撫でて新しい希望を叶えると誓っている。ところで、そこに(なんの関係もない外国人=韓国人が)行ってその町にまるで疫病が蔓延しているかのように追い詰めなければならないのだろうか。
たとえば逆に韓国の原発近くのある地域で大規模な洪水が発生し犠牲者が続出しているのに日本の国会議員が来て慰労の言葉もなく放射線数値だけを測っていたら、私たち(韓国人)はどんな心情だろうか。私たちの痛みに共感を得て和解の道を開いていこうという真正性があるなら今は私たちも彼らの痛みに共感を示す時になったのではないか。
数週間前、知人のオフィスに寄って旬のイチゴをプレゼントされた。蓋には大きく「福島産」と書かれていた。家に持って帰って家族と一緒にありがたく食べた。東日本大震災の痛みと悲しみにもかかわらず、希望の畑を耕していく福島農家たちの汗と夢がぎっしり詰まっているイチゴは甘かった。
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