激化する「スーダン紛争」。植民地時代からの根深すぎる因縁

 

国内避難民が70万人を超えたと報道されるなど、激化するスーダン紛争。この内乱を取り上げているのは、ジャーナリスト・作家として活躍中の宇田川敬介さん。宇田川さんは自身のメルマガ『宇田川敬介の日本の裏側の見えない世界の話』で、「なぜ、常に反乱が起きるのか?」アフリカという地域が持つ特徴について解説しています。

植民時代から因縁スーダン紛争

さて今回は、4月の後半になってにわかに激化した「スーダン内乱」について話をしてみたいと思います。

以前、アフリカ開発会議(TICAD)のお手伝いをしていたことがあります。

アフリカというのは、世界最後のフロンティアであり、様々な資源がそのまま残っています。しかしそれだけではなく、自然もまた動物も様々に残っているということが言えるのではないでしょうか。

しかし、同時に「昔のまま」の生活がそのまま残っているということになり、そこに中世、大航海時代にヨーロッパの文明がなだれ込んできて、様々な王国が分断されてしまったということになります

元々「民族」や「生活習慣」で小さなコロニー型の王国になっていたアフリカが、植民というヨーロッパの都合で再編成され、なおかつそこに強制的に様々な支配階級が入ってくるということになったのです。

第二次世界大戦は、日本のポツダム宣言受託によって幕を閉じますが、しかし、当時日本人の多くが掲げていた「植民解放・八紘一宇」という考え方は、実はこの戦争によって多くが実現できたということになります。

この恩恵を最も大きく受けたのが、インドであり、また東南アジアであり、そしてアフリカではないでしょうか。

そのことは、そのまま現代にも通じて問題になっています。

要するに「無理やり植民にして、民族や文化、居住区を分断し、その内容がそのまま植民の範囲が国境線になっている」ということになっているのです。

そのうえ、アフリカの国々には、さまざまな民族の対立、それも貧富の差などの問題や生活圏が広くなったこと、スマホなどの内容などにもあって、現在の日本の若者などと同じような感じの対立がありますが、それだけではありません。

そもそも現在の国境というものは、彼らの民族にとってはあまり意味がなく、植民上の内容でしかないところがあります。

そのうえ、現在の支配階級や金持ちは、植民時代に宗主国の「手先」になって働いていた人々であり、当然に、アフリカの元の人にとっては「裏切り者」であるということになります。

中には彼らによって、親族を奴隷として売られたような人々もいるのですから、そこには根深い対立があるのです。

そのうえ、各植民は、独立後もどのようにして政治を行ってよいかわからなかったために「憲法」などの法制度は、元の宗主国の法体系をそのまま真似てしまい、場合によっては共通言語(公用語)も宗主国の言葉、英語であったり、フランス語やスペイン語、ポルトガル語のような言語を使ってしまいます。

その為に、現の言葉や文化を大事にしている人や、その伝統を守る王族や貴族が国家の政治の中では下層階級に位置することになってしまうのです。

そのようなことから、アフリカの国々には、様々な矛盾が起きているということになります。

そのために、常に反乱がおきてしまっているのです。

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