では地元、広島が本拠地の中国新聞の社説はどうだろうか。
「G7首脳が慰霊碑に献花し、核廃絶に取り組む姿勢を強調するだけでは不十分だ。各首脳が被爆地に残した言葉は『公約』でもある。ビジョンを掲げて終わりではなく、それぞれが具体的な行動で示す責任がある。
核兵器による悲劇を再び起こさないためには、核廃絶以外に道はないのは明らかだ。核なき世界は理想ではない。被爆地ヒロシマの不変の原点だと、訴え続けなければならない」。
広島の声には、核廃絶を訴え続けた広島の、開催地としての思いが十分に成果として出ていない思いがにじむ。
広島での開催の意味合いは、核廃絶が目的であり、サミット閉幕で何かが終わったわけではなく、目的に向けた始まりなのである。
彼らは戦後、その体験とともに訴え続けてきたのだ。
今、私たちはその声に寄り添えているだろうか。
一部メディアや永田町ではサミットが無事閉幕したことを大きな成果だとして、政権安定に向けて岸田首相が解散総選挙に打って出るとの憶測が広がり、報じられている。
あまりにも拙速すぎる、と感じるのは広島の人だけではないだろう。
自分事として核軍縮や平和への取組を現実なものとする機会として、まだまだ市民レベルでも国際レベルでもやるべきことは多い。
広島サミットは、それを考え、議論のきっかけ、平和への通過点にしていく機会なのだと思う。
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image by: 首相官邸
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