矜持はないのか。猿之助を自殺未遂に追いやったメディアの無責任

 

日本列島が衝撃に包まれた、市川猿之助さん一家心中事件。週刊誌のハラスメント疑惑スクープ記事が猿之助さんをここまで追い詰めたとの見方が有力ですが、果たしてこの報道はなされるべきだったのでしょうか。今回のメルマガ『宇田川敬介の日本の裏側の見えない世界の話』ではジャーナリスト・作家として活躍中の宇田川敬介さんが、事件を振り返りつつ問題を提起。「マスコミの報道ハラスメント」について社会全体で考える重要性を訴えています。

市川猿之助さんの自殺未遂と報道の在り方について

今回は「市川猿之助さんの自殺未遂と報道のありかたについて」考えてみたいと思います。

まずは市川猿之助さんの事件を、私なりに見てみましょう。

四代目市川猿之助さんは、1975(昭和50)年11月26日生まれの歌舞伎役者で、屋号は澤瀉屋(おもだかや)になります。

歌舞伎における立役、女方、舞踊に至るまで、優れた理解力と表現力に富む。

女方を多く勤めた亀治郎時代を経て、猿之助を襲名しています。2007年にNHK大河ドラマ『風林火山』で武田晴信を演じて以降、テレビドラマ、映画、現代劇、バラエティ番組にも多数出演する人気タレントになっていました。

今年5月18日、マネージャーが猿之助さんの自宅を訪れた際に、猿之助さん、父の四代目市川段四郎さん、母の喜熨斗延子さんが共に倒れているところを発見しました。

延子さんはその場での死亡が確認され、段四郎さんは病院に搬送されましたが、その後死亡が確認されています。

本人の命に別状は無かったので、病院に搬送されています。

自宅からは猿之助さんが書いたとみられる遺書のようなものが見つかっています。

報道によると「警視庁は猿之助が心中を図った可能性もあるとみて捜査をしている」といいます。

(中略)

二つの問題提起

この問題に関して、二つの問題提起をしたいと思います。

一つ目は「ハラスメント」という法律制度についてです。本来法律というのは「客観的な事実で、犯罪行為かどうかが決まる」というものであり、主観によって物事は法解釈が変わるというものはなるべく少なくしなければならないということになっています。

その為に、戦後の刑法改正では「身分によって刑罰が異なる」というような「尊属殺人」(自分の上司や親を殺した場合と、親が子供をまたは上司が部下を殺した場合とで、その刑罰や評価が変わるとした刑法の条文)が廃止されるということがありました。

もちろん客観だけではなく、主観によって異なる部分もあります。例えば、人を殺してしまった場合、「人を殺そうと思って殺した」場合は殺人事件ですが、「何か傷つけようと思って結果的に命を奪ってしまった場合」は過失致死事件になります。

また、その殺人に関しても目的によって異なり、強盗などを行った場合が「強盗殺人」になりますし、また、性行為をした後にばれるのが怖くて殺してしまった場合は「強制性交致死(旧強姦致死)」ということになります。これによって異なるのですが、しかし、これ等も運用(裁判)によって様々な内容が異なり、例えば「殺人に関して計画性があったのか」とか「命を助ける行動があったか」など、様々な客観的な基準によって異なることになるのです。

しかし「ハラスメント」という法律制度は、主観だけで相手を罰することのできる法律制度になります。

例えば、恋人や、全く知らない人でも憧れの俳優などが肩に手を当てれば「あこがれの人だから許せる」ところか「もっとしてほしい」というようになるのですが、上司のオジサンなどがそのことを行った場合は「セクシャルハラスメントになる」ということになるのでしょう。

上記の「殺人罪」と「傷害致死」の違いの場合は、加害者の意識であり、なおかつその内容に関して客観的な行動などで証明してゆくのですが、ハラスメント法制は「被害者の主観」ということになります。

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