松本人志や明石家さんまには無い。希代の芸人・上岡龍太郎がくれた「異質の面白さ」

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人気絶頂だった2000年、58歳の若さで芸能界を引退し隠居生活を送っていた上岡龍太郎さん。そんな上岡さんの訃報が2日に伝えられて以来、各界から追悼の声が続々と上がっています。関西に生まれ幼い頃から上岡さんの出演番組を観て育ったという京都大学大学院教授の藤井聡さんは今回、メルマガ『藤井聡・クライテリオン編集長日記 ~日常風景から語る政治・経済・社会・文化論~』で、上岡さんの芸風を分析。さらに彼が芸能界引退を決意した理由を推察しています。

(この記事はメルマガ『藤井聡・クライテリオン編集長日記 ~日常風景から語る政治・経済・社会・文化論~』2023年6月7日配信分の一部抜粋です)

追悼・上岡龍太郎 ~上岡の前に上岡無し、上岡の後に上岡無し

芸人・上岡龍太郎が、肺癌と間質性肺炎による肺不全のため他界されました。享年81。5月19日には亡くなっていたそうですが、その訃報は6月2日に報じられました。

この訃報を初めて耳にしたとき、まるで遠い親戚のおじさんが亡くなったような驚きと悲しみを感じました。おそらく、当方と同じ、関西の50前後の者は皆、同じような気持ちになったのではないかと思います。

(いつもこれまでこう呼んできましたから、敬称略でこのように表現いたしますが)上岡龍太郎は、僕らが子供の頃から、テレビをつければ必ずでていた芸人でした。

素人の若い男どもが“かぐや姫”を獲得するために戦う「ラブアタック!」(1975~1984、毎週日曜)、素人の新婚夫婦5組を、誰が誰とペアかを分からないように出演させ、様々な質問を通して誰が誰とペアかを回答者のタレント達に言い当てさせる「花の新婚!カンピューター作戦」(1978~1991、毎週日曜日)、横山ノックと共にゲストとトークをする「ノックは無用!」(1975~1997年、毎週土曜日)等の上岡龍太郎が司会する番組は、週末になれば朝から晩までテレビを見ていた小学校、中学校の頃にはいつも見ていましたから、上岡龍太郎は極めて身近な存在だったわけです。

その内、大学生になってくると、「探偵!ナイトスクープ」(1988~)や「鶴瓶上岡パペポTV」(1987~1998)等、当時の関西の大学生達が皆見る人気番組で毎週、上岡龍太郎を見るようになっていきます。

親戚のおじさんは親戚のおじさんとして子供の頃からずっといるもので、その人がどんな人であろうがそこにいるのが当たり前のものだということで、そのおじさんとして付き合っていくものですが、我々にとって、上岡龍太郎もそういう人だったのでした。物心が付いた時にはもう既に、いつもテレビで毎週毎週、何度も何度もいろんな場面で顔を見るおじさんだったのです。

このおじさん、どうやら昔は「パンパカパーン、パンパンパン、パンパカパーン、今週のハイライト」なる台詞回しで一世を風靡した漫画トリオなる大人気漫才トリオの一人として、横山パンチとして横山ノック・横山フックと一緒に漫才をやっていたようですが、それも昔の話で、僕らが知るおじさんとしての上岡龍太郎は、とにかく口が達者で、文字通り立て板に水のようにしゃべりまくるおじさんでした。

言っていることは至って当たり前のことで、関西の芸人が皆「アホ」や「ぼけ」を全面に出し、「わて、難しいこと、よぉ分かりまへんねん」という低姿勢の態度を基本とするタイプの芸人ばかりの中で、その知性があるかのように、かつ、軽く周りを小馬鹿にしたような斜に構えてしゃべりまくる姿は、よくよく考えれば一種異様な存在でした。

しかも、そういう周りを小馬鹿にしたような態度なのに、決して鼻につかない愛嬌とかわいらしさを秘めたおじさんで、いつまでも話を聞いていられる、そんな芸風のできるおじさんだったのです。

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