実際に、この問題を授業で扱う時、どうするか。当然「この場合は3×5と5×3、どちらが正解か、どちらも正解といえるか」は必ず議論する。だから、テストでは当然正解が一つに定まる。正解でないものは、不正解である。事前に確認してあることであり、文句の出ようがない。
実際に見たことがないが、首尾よく授業中に見事な「3×5が正解」の説明をする子どもがいた場合はどうするか。それは、当然真剣な比較検討の対象となる。その上で、「どちらの式が、意味として誰に対してもすんなり伝わるか」も検討する必要がある。
なぜならば、式とは即ち「算数(数学)語」という共通言語だからである。読んだだけで、その言語を知っている誰にでも意味がすっと伝わる必要がある。
そもそも、問いたいのが「立式」なのか「演算の答え」のみなのかも曖昧なのである。だから、「答えさえ合っていればいい」という、台形の公式丸暗記みたいな話になっているのである。
こんなものにすら半世紀も決着がつけられないとは、何ということだろう。世間の言葉に右往左往して、代々上から下まで「決断」できない教育現場の哀れな姿が見受けられる。
何が正解で、何が不正解か。全てがこう割り切れるとは言わないが、少なくとも教える内容が定まっているものについては、堂々と教える教員でありたい。
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