警察組織内に渦巻く上層部の動きへの不満と不信
露木長官とは言うまでもなく、警察庁のトップ、露木康浩長官である。7月13日の定例会見で、「法と証拠に基づき、適正に捜査、調査が行われた結果、証拠上、事件性が認められないと警視庁が明らかにしている」と説明し、いち早く事件性を公式に否定した人物だ。
そして、その露木氏に「どうにかしてやれよ」と働きかけたのが、内閣官房副長官、栗生俊一氏だというのだ。官房副長官は3人いて、そのうち事務担当が栗生氏、政務担当が磯崎仁彦氏と木原氏の二人である。この記事の通りなら、栗生氏が同僚のために一肌脱いだということになる。
栗生官房副長官が、警察庁の露木長官に「どうにかしてやれよ」と言い、露木長官が警視庁の刑事部長に「火消をしろ」と命じた。もしこれが事実でないとすれば、強大な警察権力相手に文春が虚偽情報をでっち上げたことになってしまう。よほどの確信がなければ書けない話であろう。
事実なら、警察の内部から文春側に伝わったとしか考えられず、上層部の動きへの不満、不信が、よほど警察組織内に渦巻いていると推察できる。
栗生官房副長官は2020年1月まで警察庁長官だった。露木警察庁長官はもちろんその後輩にあたる。警視庁の重松刑事部長もまた警察庁入庁のキャリア官僚だ。
政権中枢にいる栗生氏の意向に沿って、後輩の露木氏と重松氏が動くというのは、いかにも日本の官僚組織らしいといえるが、そこに事件の真相解明にあたるべき警察の使命感は、カケラもない。警察は誰のため、何のために存在するのかという疑念は膨らむばかりだ。
次官連絡会議を運営し、各省間の調整にあたる事務担当の官房副長官は、官僚機構のトップといえるポストである。代々、警察庁、自治省、厚生省といった旧内務省系の出身者が任命されてきた。1947年にGHQによって解体されるまで最有力官庁だった名残を今に至るまでとどめているからだ。
内務省は戦前、警察権力を背景とし、強大な支配力をふるった。府県知事として内務省官吏を派遣し、地方行政を完全に支配。警保局が各府県警察の特別高等警察を直接指揮して、思想統制と取り締まりを行った。
国家の体制を護持し、それに反対する勢力を弾圧するという内務省的なスピリットを受け継いできたのが、まさに官房副長官というポストといえるかもしれない。とりわけ、第2次安倍政権以降、警察権力と官邸が一体となって、政権維持のための危機管理にあたる傾向が強まった。
安倍、菅政権では元警察庁警備局長、杉田和博氏が9年間も官房副長官をつとめ、内閣人事局長を兼務して、霞が関を牛耳ってきた。岸田政権もそれを踏襲し、元警察庁長官の栗生氏をこのポストに据えた。
警察庁キャリア出身の官房副長官が、首相に期待されているのは、政敵やマスコミの反政府報道から、首相とその周辺を守る役割だ。
わずか600人程度といわれる警察庁キャリアは、捜査畑や交番勤務など現場を経験することがほとんどない。若くして県警の幹部や警察署長となり、組織の中で順次、昇任していく。
つまり、主な仕事内容は「指示・命令」、そのための「情報収集」である。30万人近い全国の警察官組織からもたらされる情報力はすさまじく、スキャンダルまみれの政治家を生かすも殺すも、一握りのエリート警察官の手の内にあるといっても過言ではない。
その組織のトップ経験者が官房副長官として政権の守護神となり、警察のトップ人事と予算を政権が握るという、もたれ合い関係は、双方にとってこの上もなく都合がいいのだ。
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