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Teacher teaching kids in classroom at school

なぜ、いま日本はここまで教員の数が足りていないのか?

近年、学校現場は「人手不足」だと常々言われてきましたが、特に最近はその傾向が深刻な状況になってきています。なぜ教員不足は解決しないのか、という素朴な疑問について、今回のメルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』の著者で現役小学校教諭の松尾英明さんが語っています。

学校現場の「人手不足問題」をどう見るか

教員のなり手がいないという。現場は人手不足だという。誰でも知っていることである。しかしながら、その解決策は誰にもわからないという、一見シンプルながら解けない難問の様相を呈している。果たして、それらは本当のことだろうか。

ところで、洋服がもうクローゼットに入らないとする。新しい服をしまいたいのに、スペース不足である。人は多くの場合、どうするか。

とりあえず、詰め込んでみるものである。畳み直せば意外と入る。ハンガーには複数の服を重ねてかけてみる。ぎゅうぎゅうになるまで詰め込む。取り出す時がまた大変で、余計なものが溢れ出したり皴だらけになったりするが致し方ない。見づらくて探しづらく、しまうのも取り出すのも余計な時間もかかる。

限界に挑戦するまで詰め込んだが、ある日遂に入らなくなった。どうするか。部屋の他のスペースを潰して、収納を増やしてみる。すっきり無事に入るようになり、解決である。

しかし、このスペース拡大と詰め込みを繰り返しても、遂に限界がくる。部屋にもう収納を置くスペースがない。積み上げた服が天井まで届いている。どうするか。

引っ越せばいい、より広い部屋へ。そうすれば、解決するはずである。これを繰り返すことができれば、問題は永久に解決するだろう。

しかしながらこの過程では、必ず途中に問題が立ちはだかる。お金の問題である。新しい収納を買うのも大変なのに、より広い部屋へ引っ越すとなれば、維持費も含めて容易ではない。そもそも、モノを買いすぎであるのに、その維持のためにさらに余計な財をつぎ込むことになるという悪循環である。

明らかに、最初の方向性が誤っている。「もう入らない」に対し、「収納テク」の活用や「スペース増設」をすれば、表面的には解決したように見える。しかし根本的には状況はより悪化していく。お片付けの常識である。

さて、最初に戻る。服が収納に入らなくなった。どうするべきか。

これは今あるものを捨てるに限る。古いものがあるから捨てる。要らないもの、流行りで買ったけどほとんど着ないでしまっておいたものがあるので捨てる。捨てればスペースは当然できる。やがてそのスペースも埋まるが、その時はまた古いもの、要らないものを捨てれば、永遠に解決する。なぜなら、どうせ身体は一つしかなく、そんなにたくさんの服は着れないからである。

 

本題の「教員不足」の話に戻る。何やら収納テク向上やスペース増設の方向を中心に着々と進んでいる。本来はシンプルに、必要以上に肥大化した大量の服(=業務)の方を減らせばいいだけの話である。こちらももちろん進めてくれているのはわかるが「数不足」の問題解消の観点からは、ずれている。つまりは、「教員不足をどうするか」という問題設定自体が誤っているように思える次第である。

ごく単純に考えて、授業総時数が多いから、空きコマがないのである。一人あたり週25コマの持ちコマになる理由は、低学年であっても毎日5時間授業だからである。当然、毎日6時間で30コマ近くある高学年の方に、僅かな人数の専科教員を当てざるを得ない(ただでさえ高学年担任は、行事のような授業時間以外の業務を中心となって行うことが多いのである)。低学年担任は朝から放課後まで全く空きなしの25コマというのが珍しくない。

そしてこれは、現場の工夫ではどうにもできないところであり、いわゆるお上の仕事である。かつての「ゆとり批判」があるため、なかなか踏み切れないところなのかもしれない。本来、ゆとりの時代だろうがそうでなかろうが、その内容がきちんと身に付いていたのかだけが本質的な問題のはずである(建前上、学習指導要領の定めたものが国民全員身に付いているという前提であるが、実際は…)。結局量より質だと思うのだが、「減らすと何か心配」というのが先に来るようである。何でも、増やす方が好きで安心なようである。

単純に、余計な業務量が多いから、帰れないのである。業務量自体を、現有数の職員で足りるまで減らせば解決する話である。それぞれに角が立つので具体例は取りあげないが、学校には「それは本来やらなくていい業務」というので溢れている。

「子どものためになる」「あるといい」だけが理由のものは疑う必要がある(本来、学校業務内に子どものためにならないものが存在するはずがない)。それは服に例えるなら「必要ではないけどおしゃれ」あるいは「時代遅れでもまだ使える」という類のものである。「ないよりある方がいい」という方向の発想が無駄なゴミを生み出し続ける。

 

現場裁量でやれるのは、業務量の一部削減である。キーワードは「やめる」。コロナ禍でなくなったものがまた色々復活しかけているが、要注意である。それは、なくても成立したのである。緊急事態において、優先順位が低いと判断されたのである。要らない可能性がとても高い。

業務削減を妨害する必殺ワードは「去年はやったから」である。それを言っていると一生なくせないし、学校が何に対しても時代遅れになりがちな理由でもある。平等性の担保のつもりなのかもしれないが、時代が進んでいる時点でもはや平等ではない。例えばエアコンなんて、つい数年前までどの学校にもなかったのである。今の子どもたちはずるいなんて言うのは、馬鹿げた話である。逆に前まであったものがなくなろうが、ずるくもなんともない。時代が進んで前提が違うのだから、他も去年と同じである必要はないのである。

学級経営や学校行事等においてもこれは言える。前の時代まで良かったものが今いいとは限らない。去年までやっていたから今年もやるということは、一見筋が通っているようで、実は道理にかなっていない。むしろ、かつて良かったものほど、今は怪しいと思った方がいい。

まずは、かつて必要だったその業務は本当に今も要るのか疑うこと。良いものだからあって良いと言っていいのか、見直すこと。ここに解決のカギがあるように思える次第である。

今回は長くなったので、次号で「本当に教員のなり手がいないのか」という問題を取り上げていく。

image by: Shutterstock.com

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【著者】 松尾英明 【発行周期】 2日に1回ずつ発行します。

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