ノーベル賞の創設者。ダイナマイトを発明し巨万の富を得たはずのノーベルが歩んでいた苦難の道

 

さて、ダイナマイトです。

現在の化学では起爆に衝撃や圧力が必要なことはわかっていますが、当時は熱が不可欠だと思われていました。ノーベルもニトログリセリンに黒色火薬の爆発で熱を伝えるつもりだったのですが、結果として黒色火薬の爆発の衝撃が起爆効果をもたらしたのでした。雷管と呼ばれる起爆装置を作り、ニトログリセリンを正確に爆発させることに成功しました。ノーベル式油状火薬が発明されたのです。

販売を開始すると、世界中から注文が殺到しました。採掘現場、トンネル工事、運河建設等、強力な火薬が使用できる現場は多岐に亘りました。

黒色火薬が発明されたのは10世紀の中国だと言われていますが、それから9世紀を経て、人類は新たな火薬を得たのでした。

ダイナマイトは彼に莫大な富をもたらします。ダイナマイトとはギリシア語で力を意味するデュナミスの英語読みでした。

ダイナマイトはトンネル工事、採掘などの平和利用ばかりではなく、戦争でも威力を発揮してゆきます。順調に仕事を突けていたある日、ノーベルは衝撃を受けます。

1888年4月、次兄ルードヴィッヒが亡くなり悲しみに暮れていたところ、彼はショッキングな新聞記事を読んだのです。新聞は次兄とノーベルを間違え、ノーベルが死んだと記事にしていました。しかも自分と次兄を間違えただけではなく、ノーベルを、「死の商人」と呼んでいたのです。安全な爆薬、世のために役立てると発明したダイナマイトが戦争で使われ、大勢の人間が犠牲になってしまった、と、胸を痛めていたノーベルの心の傷を抉るような呼び名でした。

追い打ちをかけるように翌年には最愛の母を亡くします。以後、ノーベルは平和運動に参加するようになります。平和運動に関しては一人の女性が関係していました。43歳の時、秘書の募集を5か国語でしたところ、5か国語で応募してきたベルタ・キンスキーです。ノーベルはベルタを秘書として採用し、同時に結婚相手にも考えました。

しかし、結婚はベルタには婚約者がいたため諦めます。結婚のためベルタが秘書を辞めてからもノーベルは文通を続けました。ベルタは5か国語を駆使できるように才能溢れる女性で、「武器をすてよ」という著作を著し、平和運動を続けました。ノーベルの平和運動と、ノーベル賞に平和賞が加えられたのは、ベルタに影響されたようです。ちなみに、ベルタは1905年にノーベル平和賞を受賞しました。

1896年12月、ノーベルはイタリアのサンレモで心臓発作を起こし、死去します。63歳でした。死の1年前に彼は有名な遺言状を作成しました。莫大な財産の大部分をあてて国籍の差別なく、人類に貢献した人々に贈る賞の創設です。

学問研究だけではなく文学、平和に貢献した者にも贈られることを願ったのは、若き日の憧れと成功してからの悔恨でしょうか。

アルフレッド・ノーベル、苦闘の末ダイナマイトを発明し莫大な富を得、ノーベル賞創設によって死の商人から平和の使者への転身したのでした。

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