本多忠勝ゆかりの地で歴史時代作家がバッタリ遭遇した「意外な史実」

 

最後の守護頼芸は斎藤道三に追放され、美濃を乗っ取られてしまいます。美濃を追われた頼芸は近江の六角氏や実弟の治頼が城主となっていた常陸国江戸崎に行きます。しばらく江戸崎に滞在した後に上総国の万喜城にやって来たのです。

万喜城跡には頼芸が作ったと伝わる井戸がありました。枯れない井戸だそうです。頼芸は万喜城から武田信玄を頼り、甲斐国に向かいました。武田家に身を寄せ、晩年を過ごしていましたが織田勢の侵攻を経験します。武田家は滅亡し、頼芸は稲葉一徹に保護され美濃に帰りました。

道三に追放されてから三十年の月日が経過していました。

稲葉は美濃三人衆に数えられた美濃の有力大名、頼芸が守護であった頃は配下でした。

頼芸はその年の暮れ、冥途に旅立ちました。享年八十一の大往生です。流浪中、美濃を乗っ取った斎藤道三は息子に討たれ、斎藤氏も信長に追われます。最後に頼った武田家も信長に滅ぼされ、その信長も本能寺で自刃、時代は激動したのです。

土岐家の歴代当主は鷹の絵を描くのが得意で頼芸は特に優れていました。三十年に及ぶ流浪生活中にも頼芸は鷹を描き続けたでしょう。

思いがけず土岐頼芸の足跡に触れることができ、岐阜県出身の筆者は感慨深いものがありました。

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【著者】 早見俊 【発行周期】 週刊

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