【飲食起業記】大繁盛ラーメン店『町田商店』(その1) 「基礎を学んだサラリーマン時代」

 

店長のバトン

たつさんとの遅番シフトの仕事が3年ほど経った頃「俺は新しいお店を立ち上げる、俺の店長を引き継いでくれないか?」と聞かれ、僕は二つ返事で「やらせて下さい」と答えました。

長い間ずっと同じフィールドで仕事をしていて、正直自分の仕事をちゃんと評価してもらえているのか不安を感じていた中、ようやく1人のラーメン職人として認められたのだと喜びを感じた瞬間でした。

そしてひとつの目標としていた店長になることと、ある程度独立資金も溜まっていたことから、付き合っていた彼女に結婚を申し込みました。普通のサラリーマンとして生きるつもりはない。安定とはほど遠く、将来経営者の嫁として苦労する覚悟を持って結婚を受けてくれた彼女の存在が、独立して成功したいという思いをいっそう強くさせました。そして一生彼女を幸せにしようと心に誓いました。22歳の時のことでした。

店長になって益々気合いが入り楽しみに現場に向かいましたが、そこに待っていたのは期待に反する物でした。常連さんからは皆口を揃えて、「店長どこ言っちゃったの?」とか「あれ、何か味変わった?」などの不安の声や苦言ばかりでした。

たつさんと自分は何が違うのだろう?

今までと同じ、いや今まで以上のラーメンやサービスを提供しているはずなのに、それとは裏腹のお客様から評価に頭を悩ませる日々が続きました。たつさんがいなくなったことで、今まで厨房から見えていた景色とは全く違う物になってしまったのです。

「たつさんが作り上げたお店の受け取ったバトンはこんなに重い物なのか」

すっかり自信喪失してしまった僕は、スープが悪かったりいい営業ができなかったりすると、後輩に当たったりするようになっていました。

ある日、元気のない後輩に「お前やる気がないなら明日から来なくていいよ!」と叱責すると、次の日から本当に来なくなってしまいました。もっと志を持って働いてほしいという想いを伝えたかったのですが、自分の理想の営業ができていないことで、自信や余裕がなかった僕が伝えた言葉には愛情がなかったのではないかと思います。

その後も社長からの評価やネットの書き込みを気にして仕事をしている自分に嫌気がさし、今一度、人からどう見られているかだけではなく、飲食人としてのあるべき姿を見つめ直そうと思いました。

シンプルに考えよう。最高に美味しいラーメンを最高に心のこもった元気な営業で来ていただける全てのお客様に満足していただこう。

そして一緒に働く仲間が自分と一緒に働くことが楽しい、そう思ってもらえるような最高のお店を作ろう。

それからは一緒に働くスタッフとのコミュニケーションを欠かしませんでした。仕事終わりに飲みに連れて行き、現場では中々伝えられない自分の作りたい理想のお店を語ったり、皆と一緒にいることで今のお店を作れていることの感謝を伝えたりしました。

年齢が若かったため少しでも貫禄を出そうと筋トレをして、腕も1.5倍位太くしたりもしました。一生辞めないと豪語していたタバコも辞めました。

努力のかいあって、その後2年間、売り上げが昨年対比も割らず、離職者も1人も出さなくて、お客様から指示される理想のお店を作りあげることができました。

独立のきっかけ

店長として年数を重ねるも、いっこうに独立の機会に出会うことはありませんでした。仕事も順調で『壱六家』にある種の居心地のよさを感じていたことに逆に不安を感じることもしばしばありました。

入社して5年間、入社当時みんな将来独立すると意気込んでいた先輩達も誰1人として独立を果たした人はいませんでした。

いつになったら独立するきっかけがくるのだろう?

そんな頃、嫁が待望の第一子を身ごもりました。そのとき一瞬、自分の中で、もしかしたら独立ではなく、このまま『壱六家』にいた方が家族は幸せなんじゃいか? という思いが頭をよぎりました。

嫁に「もしも、独立を辞めてこの会社でやっていくと言ったらどうする?」と聞くと、「そんなこと絶対辞めて欲しい! 昔からの夢だったでしょう? 私は全ての覚悟はできているから必ず独立して欲しい」と言われ、家族のためと弱気な発言をした自分に、嫁がかけてくれた力強い言葉で独立する決意が固まった瞬間でした。

独立する道へのきっかけなんてそう都合良くやってくる物じゃない。みんな不安の中、無理矢理に道を切り開いているのだろう。

次の日、社長とたつさんに独立のために退職したいという思いを告げました。当時店長は退職する際には1年前に申告しなくてはいけないという約束があったため、1年後に退職すると伝えました。

社長は意外にもすんなりOKをもらいましたが、たつさんからは反対されました。「俺はこの会社をもっともっと大きくする。ここに残ってお前の力を貸してくれないか?」と言われましたが、「僕は絶対に独立します。今の仕事はやりがいもありますが、独立をしなかったら必ず後悔するのでやらせて下さい」と伝えると、「お前は繁盛店しか知らないから、分からないだろうけどそんなに甘くないぞ。売れないお店を繁盛店にするのは本当に大変なんだ。始めから繁盛するなんてことはないからな」たつさんが言うことを理解できなかった訳ではなかったけれど、当時8店舗ほどになった『壱六家』はどの店舗も繁盛店であって、その時の自分は“売れないお店”というのが全く想像できませんでした。

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『<ロードサイドのハイエナ> 井戸実のブラックメルマガ』 より一部抜粋
著者/井戸実
神奈川県川崎市出身。工業高校を卒業後、寿司職人の修業を経て、数社の会社を渡り歩く。2006年7月にステーキハンバーグ&サラダバーけんを開業し同年9月に㈱エムグラントフードサービスを設立。

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