エベレストに三度の登頂を果たした冒険家・三浦雄一郎さんが、実は罹っていた「ある難病」。要介護4と認定されながらも富士山登頂を達成した彼の原動力はどこにあるのでしょうか。今回のメルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、壮絶な闘病生活についても語っているインタビューを掲載しています。
富士山の頂に再び立った冒険家・三浦雄一郎(91)が語る、逆境を乗り越える心得と人生百年時代を生き抜く秘訣
冒険家・三浦雄一郎氏、91歳。これまでエベレストに三度登頂を果たし、80歳での登頂は史上最高齢としてギネス世界記録に認定されています。
そんな超人的な三浦氏ですが、コロナ禍真っ只中の2020年6月3日、百万人に一人といわれる難病に突如倒れます。
頚髄硬膜外血腫。
首から下が動かせなくなり、要介護4のハンディキャップを負いながらも、懸命なリハビリとトレーニングを積み重ね、2023年8月31日、富士山の頂に再び立ったのです。
現在発行中の『致知』1月号では、その壮絶な闘病と挑戦の軌跡を振り返ると共に、逆境を乗り越える心得や人生百年時代を生き抜く秘訣に迫っています。
その一部をご紹介いたします。
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──絶望的な状況から希望に変わった瞬間はありましたか?
一週間か十日くらい経つと僅かに手足を動かせるようになったんです。
微かではあるけれども最悪の状態を脱したような、回復の兆しみたいなものを感じ、この小さな一歩が再び前進していこうという力に変わっていきました。
五段階ある要介護度で、上から二番目に重い要介護4に認定されましたが、医師からも「リハビリ次第です」と言われ、ならば諦めずにリハビリに励もう。
いまできることを精いっぱいやっていこう。そう心に決めました。
──そこから懸命なリハビリ生活が始まるわけですね。
最初は上半身を九十度曲げることも立って歩くこともできませんでしたから、まずは「起き上がること」、次に「歩くこと」が目標になりました。
三人の子供たちが医師や専門家と相談しながら回復に向けた計画を一所懸命に組み立ててくれ、段階に応じて医療機関を転院する形で、常に最善の環境のもとリハビリを進めていくことができたんです。
これは大きな支えでした。
一か月半ほどで起き上がれるようになり、そこから二~三か月で平行棒に掴まって歩けるようになったんです。
十一月には仕事復帰を果たし、オンラインで約一時間講演と対談をしました。
そうやって一歩一歩山を登るようにして、少しずつ自信をつけ、日常生活を取り戻していきましたね。
何がリハビリに励む原動力になったかというと、その源にあるのは「自分の可能性を心から楽しむ」ということです。
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